夕食の後、自分の部屋にこもった。パソコンのスイッチを入れる。
 昨日の夜も、彼女はチャットに現れた。おとといの夜と同じように彼女に話しかけたが、結局は相手にされず、逃げられてしまったのだった。
 彼女と話ができるようになるには、どうすればいいか?チャットでストレートに打ちあけてみるか?

 「あなたの『日記帳』を持っています。」

 しかし、ぼくはもう、「日記帳」の中身を読んでしまった。彼女の心の内を覗いてしまった。
 だから、彼女と連絡がとれたなら、それとなく住所を聞き出して、匿名で「日記帳」を郵送しようと思う。しかる後に、彼女には「日記帳」の事はふせた上で、メル友として語り合ってみたい。それから先は、実際に「逢う」なんてこともあるのかもしれない。(ヨコシマな考えだな...崇高な精神はどうなった?...)

 「あなたの『日記帳』を持っています。」

 そうストレートに打ちあけることができないなら、どうすればいいか?
 彼女の気を惹けるような問いかけができればいいけれど、あんなにスピードのあるチャット上で、ぼくには自信がない。追いかけていっても、結局は、これまでのように逃げられてしまうだろう。

   彼女はつむじ風だ!
   彼女はつむじ風だ!
   彼女はつむじ風だ!

 だから、ぼくは考えた。
 チャットが設けられたホームページは、たいがいBBSもやっている。(BBSとは、Bulletin Board System。ホームページ内でやっている掲示板のことだ。ここに、いろんな人が、言いたいことを、思いのままに書くのだ。)そのBBSを、彼女は見たりしてるんじゃないだろうか?
 もの思いに耽るうちに、パソコンの起動が完了していた。ネットに接続して、昨夜に行ったページの履歴を調べる。
www.ort.ne.jp
   「みんな集まれ!激安!食い倒れツアー大阪の楽しみ方」
 昨夜、このページで行われたチャットでは、大阪の食について語り合う人々に混じる「さすらいの峰不二子」や「地獄のベイダー卿」は、もの凄く浮いていた。
 ぼくは、このホームページのBBSへ進む。最新の大阪の食事情についての情報交換が行われている。自分の知識を披露したり...好きな店のメニューを箇条書きにしたり...こんな長い文章を誰が読むんだ!なんてのもある。ここが、はけ口なんだろうか?(しかし、ぼくにとっては、もってこいのBBSなのだ。)
 ぼくは、BBSの投稿欄に書き込みを始める。

 あなたのお名前   怪盗L
 メールアドレス   
 タイトル      最近思うこと
 記事:
はじめまして、唐突ですが、自分の気持ちを書きます。
 ぼくは、最近、変な自分に気づいたんです。ぼくは最近、変なものが好きなんです。
 それは、クレーンです。
 好きといっても、これが本当に好きという感情なのかどうか解らないのですが(^-^;
ただ、何というか、最近よく、クレーンに見とれてしまうのです。ぼくって基本的にナチュラリストだと思うんです。自然破壊反対!人工的なものは嫌いなはずなんです。クレーンって、鉄の棒がいくつもフクザツに重なり合って、でこぼこしたデっかいボルトでつながっていて、巨大なグロテスクなもの。環境破壊の象徴。今でもそう思っている。それなのに、ふと気がつくと、空にそびえ立つクレーンに見とれてしまっている。
 このことに気づいたのは、昨年の秋のこと。夕方、家に帰ろうと、西の方へ向かっていた。すると、前方に建設中のビルがあり、てっぺんにクレーンがそびえ立っていた。ぼくは、そのクレーンを見た。何度も何度も見た。何でそんなに夢中になるのか自分でもよく解らない...。
 その日以来、クレーンが気になりだしたんです。グロテスクなクレーンに...。
 工事現場に通りかかると、クレーンを探してしまう。ビルの屋上に建つクレーン。地上をキャタピラで走るクレーン。トラックの荷台に乗ったクレーン。いろんな種類があることが解った。
 ぼくは考えました。何でこんな気持ちの悪いものに惹かれるんだろうか?巨大な鉄のかたまり。空高くそびえる鉄のかたまり。そんなものにどんな魅力があるんだろうか?「巨大で、硬くて、そびえ立つ棒」それは男根を象徴してるんじゃないか?ぼくは本質的に淫らなんだ。根っからのスケベなんだ。そう思って自己嫌悪にも陥ったりもしました。でも、落ち込みながらも、やっぱりクレーンを見上げている。
 そうして、だんだん解ってきた事があるんです。
 ぼくは、本当はクレーンに見とれているんじゃないんだって事です。
ぼくが本当に見とれていたのは「空」だったんです。
 昨年の秋、最初に見とれたクレーン。それは、夕日をバックに、影のように黒くそびえていた。それからというもの、いろんな所で見た様々なクレーン。クレーンの背後には、必ず「空」があった。
 鮮烈な「藍」。
 うすい雲の膜を透して見える「かすかな水色」。
 梅雨時には、灰色の湿った雲や、隙間から射し込む光に照らされたクリーム色の雲。その奥には濃く光る「青」。
クレーンは、空を見上げるキッカケに過ぎなかったのです。
 人は何故、空に見とれてしまうのでしょうか?
 空の青さに惹かれてしまうことの不思議。
 夕焼けに見とれてしまうことに不思議。
 いくら考えても解らない。
 どなたか、この謎の答えを知っていたなら教えてください。


 以上、書き込み終わり。なかなかよく書けたと思う。
 これを見た彼女が答えてくれるかどうかは、ひとつの賭だ。
 彼女は、音楽の謎について興味を抱いていた。そこで、ぼくは、空の謎について問うてみたのだ。
 最初は、ストレートに、音楽の謎について問うてみようと思った。だけど、日記を読んでしまった疎ましさから、こんなまわりくどい題材になってしまった訳だ。
 果たしてこれで彼女の気を惹くことができるだろうか?ぼくと彼女は共鳴することができるだろうか?

 昨夜行ったチャットの履歴には、このページの他に、「シネマ喫茶室」「写真で見る世界の夕日」「潜入!SEXYパブ」「ビジネステクニック 明日は世界を!」がある。
 「シネマ喫茶室」と「ビジネステクニック 明日は世界を!」のBBSに、さっき書いた文章をコピーして載せた。
 ぼくが、投稿したBBSのユーザーは、ぼくの文章に興味を持つ奴は、ほとんどいないだろう。
 それなりに真剣な回答が掲載されれば、彼女からだと疑ってもいいんじゃないだろうか? 

to Library