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 皆さんは、どうして、ぼくが、こんなにも「日記帳」にこだわるのか不思議に思っていませんか?実は自分でも”こっけい”に思っている。
 見ず知らずの人の「日記帳」を返すために奔走するぼく。

ぼくは誠実な人間です。
ぼくは無垢な人間です。

 はたしてそうか?

   岬玲子という女性に興味があるんです。

 理由はそれだけ?

 本当は他にも理由がある。「日記帳」を返すことにこだわるのは、そのことに逃避しているからだ。現実から逃避しているからだ...。

 四月のクラス替えで、ちょっとした事件があった。ぼくの隣の席に、ある人物が座ったのだ。
 山咲香奈。昨年はクラスが違ったけれど、その頃から彼女のことが気になっていた。
体育祭のチアリーディング。タンクトップにミニスカートで踊る彼女は眩しかった。文化祭の出店では、和菓子を出してくれた。
 彼女と廊下ですれ違うたびに、ぼくは振り返って彼女の後ろ姿を追った。
 そんな彼女と隣同士に座ることになったのだ。
 最初のうちは会話もなく、ただ時間だけが過ぎていくって感じだったが、しだいに彼女の方から話しかけてくるようになった。だけど、ぼくは、彼女の顔をまともに見ることができない。たまに思い切って彼女の方を向き返答してみるが、声がうわずってしまって、恥ずかしさのあまり目をそらしてしまう。その後しばらくは自己嫌悪だ。それに周りの男どもの反応も気になる。彼女は男子生徒の憧れの的なのだ。彼女がぼくに話しかけるたびに、クラスの男どもの注意がぼくらに向けられてるような気がする。気のせいかな?
 彼女は、ぼくが口ごもっているのに、構わず話を続ける。ぼくが、恥ずかしがったり、困ったりしているのを知ってて、そんな状況を楽しんでいるように思える。
 「君って人気者なのね。おもしろい奴だってみんな言ってるよ。」
 彼女に言われた言葉が、幸福感と共に、いつも頭の中に残っている。
 ゴールデンウィークが終わって次の日曜日。彼女といっしょに鹿児島市内へ行く機会があった。とは言っても、ふたりきりで行ったんじゃない。地理の授業の課題をこなすために、班分けされた男女3人づつの6人グループで行ったのだ。
 その日の朝、空は晴れ渡っていた。集合場所のバス停留所にやってきた私服姿の彼女は、とても美しかった。いつものように満面の笑みを浮かべて、服をさわりながら、「どう?」と、ぼくに聞いてきた。ぼくが、まっすぐに見てくる彼女の瞳に耐えられなくて、適当に言葉を濁していると、同じグループの松宮の野郎が割って入り、彼女を誉めだした。ニキビで不潔で下品なブタ野郎。彼女は、顔をひきつらせながら相手をしていた。
 バスに乗ると、彼女は、ぼくの隣の席に座った。いつも隣同士なのに、やっぱり恥ずかしかった。彼女は話をしながら、ときたま、ぼくの瞳を覗き込む。
 「ちゃんと話を聞いてんのか?」
 ぼくは、真っ青な空と、真っ青な海を見ながら、バスは走っていった。
鹿児島市内で課題をこなした。やってみると結構簡単にだった。昼食は、ファーストフード店でハンバーガーを食べた。
 午後2:00を過ぎた頃、鹿児島市内の繁華街「天文館」で解散することになった。
 解散後、ぼくは、アーケードの中にある本屋に立ち寄り、時間を潰していた。すると、
 「おい!」
 肩を叩かれ、振り向くと、彼女”山咲香奈”だった。
 「散歩しない?」
 彼女に急かされて店を出る。
 オレンジ、クリーム色、青、アーケードを歩いて行くと、いろいろな光に包まれているのが解る。
 彼女と二人きりで歩いている。人の波...。現実感が遠のいてゆく...。ふわふわとしている...。
 アーケードの出口から、真っ青な空が見える。それは、しだいに大きくなり、ぼくらを包み込んでゆく。レンガの歩道を歩き...、横断歩道を横切り...。
 散歩なんて言いながら、彼女の足取りは、ある目的地へ向かっているように思えた。
 着いた先は、大きな鳥居のある神社。薩摩藩の藩主が祀ってあるとかいう所だ。そこで、何やら拝んで、おみくじを引いて、二人でベンチに座った。
 「ねえ、もう少し散歩してみる?」
 そう言って彼女は、悪戯っぽい目でぼくを見た。
 「うん、いいよ。」
 戸惑って、そう答えると、彼女は立ち上がり、ぼくの手を引いて歩き出した。
 「どこに行くんだよ?」
 「こっち、こっち。」
 そう言って、細い路地に入ってゆく。
 彼女が手を握ってきたこと...。少しだけ手を握り返してみる。ぼくは自分を見失いそうになっている。
 一歩、歩くごとに、体が触れ合い、彼女の汗や体温を体で感じることができる。
 車とすれ違う。人とすれ違う。もうそれは、別世界の出来事のようだ。
 そんな状況に浮かされながらも、彼女が今、行っている行動は、ぼくにとっては、とても不可解に思えた。路地を右に曲がったり...、左に曲がったり...、後戻りしたり...、同じ界隈を何度も行き来している。
「こっちに行ってみようよ。」
 「こっちに曲がってみる?」
 そんな事が長い間続いたので、熱に浮かされているぼくも、少しは正気に返り、彼女に聞いてみた。
 「いったい何をやってんだい?」
 彼女はイライラした顔で、まっすぐに前を見つめていたが、怒ったような表情で、ぼくの方を見て、少し間を置いてから、こう言った。
 「今日はもう帰ろうか。」
 その声には、いつもの快活さはなく、力が抜けていた。
 神社の鳥居の所まで戻り、彼女は、
 「先に帰るから。」
 そう言って、歩いて行った。後ろ姿が怒っているように見えた。
 
 「いったい何をやってんだい?」
 この言葉がいけなかったんだろうか?それとも他に、いけないことをしてしまったんだろうか?何が何だかよく解らない。ただ、今のぼくの率直な気持ちを表現すると、至福の夢から目が覚めて、風の吹きすさぶ荒野にひとりたたずんでいるって感じだ。明日、原因を聞いてみようと思う。

 次の日、学校へ行った。ぼくの隣には、土屋日出子って女の子が座っている。山咲香奈は、二つ隣の列の、五つ前の席に座っている。そのうち帰ってくるだろうと思っていると、授業が始まってもそのままだ。土屋日出子に聞いてみると、山咲香奈と席を替わったのだと言った。
休み時間に、山咲香奈の所に言って、話しかけてみた。
 「席、替わったんだ。」
 「そう、突然で驚いた?ごめんね。私、視力弱いから、黒板の文字が見えにくくて...。」
 そう答えて、ニッコリ笑うと、すぐに他の女の子と話し始めた。
 それ以来、彼女は、ほとんど、ぼくを無視している。たまに、女の子同士で笑いながらこっちを見ていることがある。
 いったい、ぼくは何をしてしまったんだろうか?
 ...。

 つまり、今年の四月から五月にかけて、そんな事があった訳だ。七月に入った今も、やっぱり彼女に無視されていて、大西達は、「お前、山咲が好きだったんだろう?」なんて冷やかすし、なんだか辛いんだ。
 そんな訳で、ぼくは「日記帳」に逃避してるんだと思う。

つづく

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