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 音が聞こえる...。
また、音が聞こえる...。
 音は高速で近づき、高速で去ってゆく...。
 音はひとつではなく、幾つもの音が交錯し、近づいては去ってゆく...。
 何の音?
うるさい...。これは騒音だ...。頭が痛い...。
 突然、耳元で、けたたましい音が鳴り響く...。これまでとは異種の音だ...。
 これは、クラクションだ...。車のクラクションだ...。ぼくに警告しているのか?
 再び、元の音が近づき、去ってゆく...。
 そう、車が走行する音だ。
 他にも音が聞こえる...。
 自転車のベルの音...。人々のひそひそ話...。横断歩道の誘導音...。
 ぼくは、いったい何処に居るのだ...。
 ぼくは、目を見開く。
 どんよりとした灰色の空が目の前の前に広がる。
 再び、耳元でクラクションが鳴り響く。
 辺りを見回してみる。
 ほんの少し離れた所を車が走り抜けてゆく。
 ほくは、アスファルトの上に寝そべっているのだ。
 上体を起こす。
 頭が痛い。飲み過ぎたんだ。
 ここは、歩道と車道の間。
 今は、朝の通勤ラッシュなんだ。ぼくの周りは、車や人でごった返している。
 通行人が、ぼくを遠巻きに見ながら、ひそひそ話をしている。
 また車のクラクションだ。ぼくに警告してるのだろう。
 それよりも、頭が痛い。
 ぼくは、起きあがって歩道の中に入る。
 斜め上を見つめる。
 ビルの立ち並ぶ向こう側の空は、雲の中を稲光が走っている。
 菜原市のビルは、こんなにも大きかったっけ?
 辺りを、高校の始業のチャイムが鳴り響いている。
 街の中でも鳴らしてるんだな。知らなかった。
 しかし、今日も遅刻だ。とりあえず学校へ行こう。
 朝の通りは、人でごった返している。
 たまに仮面を付けた人や、遠い国の民族衣装らしきものを着けた人がいる。
 今日は祭りなのかもしれない。
 そういえば、かすかに笛と太鼓の音が聞こえる。
 不思議な笛の音だ。
 音の主を捜そう...。音を頼りに捜そう...。
 .....。
 いた!
 岬玲子だ。
 遠くの方、人混みに紛れ、彼女は横笛を吹いている。
 白いドレスを着て、口元だけを露わに、キツネのお面を被っている。
 人混みに見え隠れしながら、ぼくをまっすぐに見ている。
 不意に彼女はビルの谷間に消えた。
 ぼくは人を掻き分けて、ビルの谷間へ追う。
 人ひとりがやっと通れる程の、ビルの狭い隙間を通り抜けてゆく。
 菜原市にこんな場所があったろうか?ぼくはまだ酔ってるのか?
 隙間は左右に折れ曲がっている。
 白いドレスが見え隠れする。
 隙間を抜けて、広い通りに出た。
 辺りを見回す。見失った。
 まばらな人。笛の音が鳴り響いている。
 音を頼りにさまよう。
 雨がしとしとと降り始める。暗黒の空。稲妻が至るところで鳴り響いている。
 次第に雨音が増してゆく。
 稲妻が近づいてくる。ドドドドーン!
 笛の音がかすれてゆく...。
 彼女を失ってしまう。
雨音が激しい!
 耳を澄ませ!彼女を失ってしまう。
 ドドドドーン!
 雨音が激しい!
 稲妻だ!近い!ドドドドドドドドーン!!!


 目が覚めて、最初に目に付いたのは、天井のしみだった。ここは寺垣の下宿だ。ぼくは、彼のベッドの上で寝ている。部屋の中は、ぼくひとり。ベッドの上に置いてあるデジタルの目覚まし時計を見ると、きっかりA.M.10:30を示していた。
 少し頭痛がする。でも、何故ここで寝てるんだろう?昨夜はどうだったっけ?確か、駐車場から走って逃げて、広場の芝の上に寝そべった。そして星を眺めたんだ。その後はどうしたんだっけ?
 ベッドの隣のテーブルの上に紙が一枚置いてある。手にとって読んでみると、
 「先に学校へ行く。ゆっくり休め。寺垣」
 と書いてある。
 窓から外を眺めると、どしゃ降りだ。雨音が激しいことに気づく。夢から覚める時の稲妻の音は、実際に、本物の音を聞いてたんだろう。昨夜は、あんなに晴れてたのに...。まだ梅雨は続くのかな? 
寺垣の下宿にはテレビがない。ラジオをつけてみる。悩み事相談室なんてのをやっている。暗い番組だ。他のチャンネルもおもしろそうなのはなさそうだ。スイッチを切る。CDのスイッチをつけてみる。最近”はやり”の韓国の女性アイドルのアルバムだ。寺垣の奴、こんなのを聞いてるんだ。
 頭が重いから、ベッドに横になり、目を閉じる。一律にこだまする重厚な雨音。その中を流行の音楽が行き交う。音が部屋を支配している。何故か心地よい気分だ。しばらく、このままでいよう...。

 再び目を覚ますと、時計は正午を廻ったところだ。頭もだいぶん軽くなった。小型の冷蔵庫に入れてあった牛乳と食パンを勝手に食べる。そして、昨日から置きっぱなしにしてあったカバンを手に取り、外に出る。
 激しい雨。
 こんなにも、暗い昼は、めずらしいと思う。
 コンビニで売ってそうな透明な傘を差して雨の中に飛び込む。
 傘がズシリと重い。足元には、薄い川ができている。
 この傘は、面積がちいさい。
 なるべく濡れないように、肩をすぼめ、歩幅を狭くして、とぼとぼ歩く。
 ペンギンの映像が頭に浮かぶ。
 学校へ潜入。体はかなり濡れている。時間がたてば乾くだろう。まだ昼休みのようだ。潜入先が、1年生の校舎だったので、皆、遠巻きにぼくを見ている。ぼくは無視して、傘と靴をそれぞれの手に握り、廊下を突っ切ってゆく。濡れた足跡が残ってゆくのが解る。 隣の校舎に移り、靴箱に、靴と靴下を投げ込んで上履きに履き替える。1階に職員室があるので、素早く2階に上がる。廊下を歩いて行くと、同級生達が、やっぱり遠巻きにぼくを見ている。そんなに濡れた姿がみっともないかな?話しかけてくればいいのに、なんだか視線が冷たい。気のせいか?
 教室に入ると、やっぱり遠巻きに見られる。そんなに変なかっこうかな?
 席に座るなり、大西が慌ててやってきて言い出した。
 「おい、おまえ、ケイタイの電源切ってたろ。連絡とれなくてまいったよ。ところで、 おまえ、夜中はどこ行ってたんだよ!」

大西の話はこうだった。
 昨夜、駐車場から走って逃げて、広場の駐車場に寝そべった。寝そべるなり、ぼくは寝入ってしまったという。その場で解散になり、横山と武田はすぐに家に帰った。大西と寺垣は、しばらく芝の上に座ってたらしい。
 「大坪とガメラが見あたらないけど大丈夫かな。」なんて話をしていると、突然ぼくが起きあがり、「帰る。」と言って、ひとり歩いて去っていった。
それから大西は、寺垣の下宿へ行き、二人で寝ていると、再び、ぼくがやってきて、結局、三人で毛布を分け合って寝たのだという。
 朝になり、大西と寺垣は、二日酔いでボーっとしながらも、ちゃんと起きて学校へ行った。ぼくは、飲み過ぎたらしく、起きなかった。
 学校に着くなり、大西達は、職員室に呼ばれた。2年生の担任全員が座る中、大西、横山、寺垣、武田、大坪、ガメラは横一列に並んで立たされた。
 昨日、寺垣の下宿の大家は、ぼくらが部屋から出てゆく所を物陰からチェックしていたのだ。すぐに大家は先生達に連絡をとり、写真でメンバーを割り出していた。酒盛りをしていたことは、すっかりバレていたのだ。
 それからじっくりと時間をかけて、昨夜どんな行動をとったのかを尋問されたらしい。 市営の駐車場で高校生らしい集団が暴れていたことを、先生達は、何故か知っていた。
もちろん、大西達は、「沈黙」と「嘘」を貫き通して、厳しい「追及」を乗りきろうとした訳だが...。
 それだけでも充分ショックな話なのに、まだ物語は続く。
 今年、採用されたばかりの女の先生。男子生徒からは、「ゆみかちゃん。」って呼ばれている。そのゆみかちゃんが昨夜、物音に目が覚め、ベランダを覗くと、人が立っている。驚いていると、その人影は慌てて逃げていった。
 ゆみかちゃんは、その人影は、大坪だったというのだ。
(部屋を覗いてたのか?あのバカヤローは、何をやってんだ。)
 先生達は、他に「共犯者」が居なかったかを大坪にぶつけ続けた。
大坪は、顔を真っ赤にして震えながら立っていた。しばらくして、隣に立っていたガメラが、「一緒に居ました。」と言った。そして、大坪が、真っ赤なニキビ面に汗を光らせながら、ぽつりと、ぼくの名前を言ったらしいのだ。

 唖然とした。



 しばらく口が聞けなかった。
 昨夜、広場の芝の上に寝そべって星を眺めた。それから寺垣の部屋の天井を見るまで、全く記憶がない。
 ぼくは、本当に覗きをやってしまったのか?

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