現地連絡員のエイエイ先生からのメッセージです


  志のある人たちへ
                   エイエイ
                    
和尚の話を通訳するエイエイ先生
    エイエイ先生 右は代表の宮下亮善 (03年10月ティパウン小学校新校舎落成式)

 
 お釈迦様は「運命は思いがけないこと」と仰いました。私は日本人と一緒に農村開発の仕事をするとは夢にも思っていませんでした。しかし、縁あって日本人と友達になりました。私の日本の友達は皆志のある人たちばかりです。そのような日本人と会って、自分の民族、地域、国のために一緒に協力する機会を貰いました。ですから、私は日本の友達に感謝しています。

 私は1998年6月に友人の紹介で初めて平野さんに会いました。私は平野さんが家を借りる時に手伝って、平野さんの家族と本当の家族のようになりました。その時平野さんはNGOのマネージャーとしてミャンマーに来ました。私はそのNGOについて何も知りませんでした。その後NGOのニュースレターを読んでNGOのことを知りました。NGOが進める教育と農村開発のプロジェクトは私が興味を持っていることと同じでした。自分ができることを協力しながら、平野さんや高山さん(注2)、宮下和尚をはじめ多くの日本人と友達になりました。
 日本の友達の皆さんが、私達の地域の子供達の教育について協力したことは、ここに書き切れないほど沢山あります。ミンガラーバー地涌の会はニャウンシュエ郡の教育のために12校の中学校と5校の高校から毎年51名の生徒を選んで奨学金を渡しています。そのプロジェクトは1999年から始まり、2003年までに奨学金を受けた生徒は346名になりました。奨学金を受けた生徒の中から高校を卒業した人は40名います。大学の医学部に一人、教育大学に一人、コンピューター大学に一人が勉強しており、残りの37名の生徒達は仕事をしながら通信制大学に通っています。その生徒達が奨学金を受けなかったらどうなっていたかは分かりませんが、奨学金を受けたことによって高等教育を受ける機会を得ました。

 1999年のある出来事についてお話したいと思います。インレー湖のターレー村に住んでいる二人の女の子は学校へ行くために困っていました。その二人は奨学金を受けられなかったら学校で勉強することが出来ませんでした。その事を聞いて平野さんは日曜日に奨学金を届けるために村まで行きました。そのことによって2人は高校を卒業することが出来ました。和尚さんを始め多くの日本の方々が気持ちで協力した奨学金はインレー湖の多くの子供達のために役立っています。ミャンマーから遠く離れている日本の方々が、一度も会ったことのないミャンマーの子供達のために自分の子供のようにお世話して頂いたことに対して私達は心より感謝の意を表したいと思います。

 その他にも私達のポーオ地域発展と教育のためにも日本の多くの友人の皆さんが協力してくれました。今ポーオ地域には立派な学校がたくさん出来ました。ポーオ地域は様々な理由から教育が遅れてしまいました。言うまでもなく地域のために一番大切なことは教育です。ポーオ地域の責任者達が教育の発展のために仕事をしている時、日本の友人の皆さんから沢山の協力を得て、言葉にして表現することが出来ないくらい感謝いたしております。

 新しい校舎を地元の人々と共に建設するだけでなく、教育の質の向上のためのプログラムも行いました。村の小学校では、文部省から派遣される先生の数は多くても3人です。小学校は5学年ありますので、先生の数が足りません。ですから、村から一人或いは二人の先生を雇わなければなりません。村の人たちは、学校を運営する基金を確保するために学校農園や水力発電プロジェクト等を日本人の協力で行っています。

 ポーオ地域にあるカンロンの世帯数は38戸で、経済的に貧しい村です。また、マラリアの常習地帯でもあります。この村の人々は子供達の教育に熱心な人たちで、竹の壁、草の屋根の家を作って先生を雇いました。この学校は宮下和尚のご協力のお蔭で新しい校舎が出来、学校運営の基金のために学校農園を作りプロジェクトを行いましたので、今子供達は安心して勉強ができるようになりました。昨年4年生を卒業した3名の子供達は今、ティハムスエ中学校で5年生の教育を受けています。学校基金からこの3名の子供の教育費を支援しています。

 また2003年5月には、村の人々がミンガラーバー地涌の会の支援を受け、3KWの水力発電を造りました。毎月一軒から500チャット(約45円、注:この村の農家月収は約16,000チャット=1,440円 地域は約33,000チャット)を電気代として集めています。その集めた電気代は、基金として村の開発とマラリア対策のために使っています。今38戸の家に電気が灯り、子供達は夜でも勉強することができるようになりました。カンロンはナウンカ村で一番遅れた集落でしたが、日本人の協力のお蔭で生活水準が向上しました。

日本からの寄付金を預かって、実際に地元の人々と一緒にプロジェクトを運営している人は平野さんと高山さんです。2人は私よりも若い人たちですが、私は彼らの高い志を尊敬しています。ポーオの人たちも私と同じように彼らを尊敬しています。ポーオの人々の気持ちの中に平野さんと高山さんはいつも生きています。ポーオのリーダーが言われました。「ポーオ地域の発展と教育のために身を投じて協力してくれた平野さんはポーオの恩人としてポーオの人々はいつまでも忘れないでしょう。」

 日本と比べて大変不便なミャンマーに来て、ご主人の仕事が巧く出来るように蔭から協力した平野さんと高山さんの奥さんたちにも私達は同じように感謝しています。

 現在の若者は将来ミャンマーを良くする宝物です。若者達は将来ミャンマーのために役に立つ立派な人間になる可能性があります。その子供達の教育を何の見返りを期待することなくご支援頂いた日本人のご恩を私達は生涯忘れません。

最後に私達の山岳地域の発展と教育の向上のために協力した日本の友達に以下のような名前を贈りたいです。「志ある人たち」と。(2004年4月)


注1、
エイエイ先生は元小学校教員で現在小さい子供のための私塾を運営されています。お母様は、戦時中旧日本軍が作った現地の子供たちのための学校で、勉強されたそうでそのことをよく娘のエイエイ先生に話されたそうです。
「ミャンマーの子供たちのために支援していただくのに、何で私が手当てを受け取れましょう」と、無給で連絡員をして頂いています。

注2、
平野さんも高山さんも他のNGOで活動しながら、合間に当会の連絡係をしていただきましたが、現在は帰国されてそれぞれ新しい職場でご活躍されています。