日本の情報通信事業は、国際的にみてアメリカと首位を競うまで発展しています。

明治の新政に参画した若き科学者でもあった寺島宗則が、行進日本を、

国際国家とする発想に、電気通信ネットワーク設定を最優先とし、自ら”電信長官”として

活躍したことが、今日の発展の基礎をつくったと思われます。

寺島宗則は、明治政府の外務卿としての功績はよく知られていますが、

電気通信の先覚者であったことはあまり知られていません。

電気通信の父の故郷、脇本から今インターネットとという現在の通信方法で

寺島宗則の功績を伝えられることうれしく思います。
*お願い
寺島宗則の写真が手元にありません。提供してくださる方いらっしゃいませんか。お待ちします。

外務卿(現在の外務大臣)寺島宗則は、天保3年(1832年)5月23日
現在の松木家

脇本の郷士長野祐照の2番目の子として生まれ、幼名を徳太郎といいます。

天保7年(1836年)4才の時、おじの松木宗保に子供がなかったので、

その養子となり
松木の姓を名乗りました。

通称を弘安(こうあん)といいましたが、のちに生家の前面に浮かぶ寺島の名を

そのまま用いて寺島陶蔵(とうぞう)と改め、さらに宗則と改名しました。




松木家からみる寺島

養父(松木宗保)が医者で長崎に派遣されていたので、宗則も10才ぐらいまでは

長崎で過ごしました。

はやくも、8才のときから蘭通詞(らんつうじ)堀専次郎(ほりぜんじろう)などから

オランダ語を学びました。

弘化2年(1846年)宗則が15才の時、藩の留学生として江戸へ行き、

戸塚静海(せいかい)や
伊東玄朴(げんぼく)について、医学はもちろん、

兵術、天文、造船、地理、オランダ語とはばひろく
勉学にはげみました。

(1846年から1865年までは年表にて紹介。)五代友厚ら薩摩藩士一行19名とともに羽島(串木野)からイギリスへ密航。

慶応2年帰国の船は阿久根港につきましたが、その船の中で書いた建議書はその後の薩摩の進むべき道を開いたものとして重要な

ものとなりました。帰国後も。宗則は、イギリスの日本に対する外交政策を改めさせようと努力しました。

宗則は、イギリス外務大臣クラレンドンに数回会い、日本の政治の安定の為には政権を幕府から朝廷に移す必要があること、それには、

イギリス政府の協力や手助けが必要なことを説きました。クラレンドンはこれに心を動かされ、駐日公使に討幕運動を助けるよう指示。

このような宗則の働きがあり、明治維新が数年早まったともいわれています。

明治元年外国事情に明るい宗則は、大久保利通などと参与職になり、同年9月には当時新政府が外国と付き合うただ一つの場であった

神奈川県の知事に任命されています。このころ東京ー横浜間の電信建設に努力しました。

当時「人民達の中には、電線をお守りにするために切るものが多い。」と訴える部下に対して、「人民は切り役、政府はつなぎ役」

と言い、着実に工事を進め、のちに「電信の父」と呼ばれています。

下記にほんの一部ですが年表にまとめました。
年号 西暦 寺島宗則の事績 社会の動き
天保3 1832 薩摩国出水郷脇本槝ノ浦に父・長野祐照、母・秋野の次男として出生。
天保7 1836 伯父松木宗保(長野祐照の兄)の養子となる
安政2 1855 島津斉彬の命により川本幸民とともに電信機を考案 日米和親条約を締結
安政4 1857 薩摩藩邸内にて電信機の実用試験を行う
文久1 1861 幕府第一回遣欧使節、竹内保徳の随員として品川港を出航
フランス・イギリス・オランダ・ベルギー・ロシア・ポルトガル諸国を
歴訪。病院・学校・電信局を見学。
文久3 1863 薩摩藩船奉行となる。
鹿児島湾で英艦に五代友厚とともに捕らえられる
薩摩藩、英艦隊と交戦
(薩英戦争)
慶応1 1865 五代友厚ら薩摩藩士一行19名とともに羽島を発し英国に密航
慶応2 1866 阿久根に帰着。寺島陶蔵と改名
薩藩主に統一的新国家建設のため版籍奉還を建議する
慶応3 1867 薩藩の開成所教授となる
封建制を廃止し王政の基礎確立の意見書を島津忠義に提出
徳川慶喜大政奉還
慶応4 1868 神奈川府判事となる。
東京-横浜間電信開設について建議
鳥羽伏見の戦い
五箇条の御誓文
江戸を東京と改める
明治1 1868 神奈川県知事に任ぜられる
国営電信建設の一切を委任される
電信の国営を廊義で決める
明治2 1869 外務大輔(外務次官)に任ぜられる 電信創業、東京ー横浜に
公衆電報の取り扱いを開始
明治6 1873 参議、兼外務卿に任ぜられる 征韓派、西郷ら5参議辞職
明治10 1877 勲一等に叙され、旭日大綬章を授けられる 西南戦争
明治21 1888 枢密院副議長に任ぜられる 黒田清隆内閣成立
明治26 1893 東京・芝区の寺島邸にて死去(62歳)


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