目次
1 我輩は猫である、2 大強風が野良猫を急襲
3 総理大臣、4 私の履歴書 (知事選に伏兵
5 パトカーに追跡されたら このマニュアルで
6 夏の散歩はサンダルで。 7 止まれ 馬鹿や郎。







                     我輩は猫である
名前は猫八。生まれは鹿児島。湾の向こうには桜島がありその雄大な姿は鹿児島のシンボルでもある
                  猫族声明文

            我ら猫族は人間から独立すべきだ。
          人間と同じ食事をすると総入れ歯になる
          食が出来なければ生命の維持が難しい
         猫族に歯科医はいない。困った事になった。
            我が猫族は人間とは対等の立場だ

我輩は猫である。 猫として上等な出来ではない。背といい毛並みといい顔の造作いい他の猫に勝るとは思っていない。猫族は年功序列の世界だが我輩が首長になる。テレビで えどや子猫と呼ばれる人間を見て驚いた。我輩よりも上等な声でニヤンニヤンいっている。急いでテレビの後ろに回り何か仕掛けがないかと調べたが昨日と同じ光景だ

テレビの前と後ろではこんなに景色が違うのかと驚いていると、ニワトリの鳴き声がする。これ大変と急いで前に引き返しテレビを見たが えどや子猫氏今度はニワトリだ。コッケコウコウとニワトリより余程上等だ。顔もニワトリそっくりだ。人間てこんなに早く簡単に声も顔も変えられるのかと驚いていると猫太郎が通りかかった。氏の説明によると、人間の顔や声帯は複雑な仕掛けで歌も歌え顔も自由に変えられるそうだ。今日の一日は片目、片鼻の我輩にとって人間てなんと上等な生き物かと驚きの一日であった

人間はよく 猫の手も借りたいという。人間て時々変な事を考える動物のようだ。なんで猫の手か見当がつかぬ。猫の手ほど不自由な物はない。人間が物を掴む時、 ピアノを弾く時、野球でバットを振るとき我輩は自分の手を見て悲しくなる。ジャンケンをしてみればわかる。グー 専門だ。先をよまれて完敗だ。












 我輩は猫だが、鹿児島の人間を観察すると大食いの西郷さんと火の島 桜島で飯を食っているようだ。頭体の大きい西郷さんは大盛りで三杯飯を食うという。


猫太郎が言った。お前は誤解している。西郷さんは太っ腹だがこれは胃袋が大きいということではない。でも、いま銅像だから、飯は食わない。腹が空くわけでないから心配するなと言った。

その昔朝鮮戦争が勃発した時、鉄や銅の価格が暴騰した事があった。西郷さんも例外ではない。銅像の刀は切り取られ泥棒氏に持ち去られてしまった
幸い西郷さんの金は切り取られず無事だった。あの重量ではパンツは脱がせるのが難しかったのだろう
若しかして、、我輩は考えた。西郷さんは子孫のために美田を残さずと言うくらいだから銅製かもしれない。若しあっても沈黙は金
それから、、「西郷さん何ですか」 「隣に 風呂を造ってくれんどかい、もう七十年も風呂に入っていないんだよ、苔のむすまでは君が代だけにしてくれんどかい。シーっ君が代の話はごめんを。。。首がとびます。

 「西郷さん、大変だ 大変だ 、ここでのんびり立っていてはいけません」 「何でごわすか」 「強力なライバルが現れました」 「男ですか女ですか」「NHK 大河ドラマの篤姫です」  「処女ですね、 おいどんは人妻でないと興味はごははん、マラ兄弟をたくさんつくるのが戦いに勝つこつでごわす」

 「なるほど西郷さんは太っ腹ですね、 それで 西郷銅像は大久保さんや東郷さんの銅像より格段に大きいわけですね」

寒い夜の事だった

 猫太郎だ。自分でいうのは何だが若い。知的である。目がはっきりしている。口に締まりがある。度胸がある。人間と居住を共にする。冬の寒い時は夫妻の寝床に潜り込む。夫妻の中間に位置し川の字型に寝る。H型に寝る事もあるが此の場合夫妻の片方が布団からはみ出すことになる。そんなある夜寒さに震えた夫が目を覚まし我輩の首筋をつかみあっちえいけ邪魔だと言って布団の外え放り出した。


余は布団から追い出され寒さにガタガタ震えていると夫は妻に寄り添い何か試みている。今までガタガタ震えていた夫が汗をかいている。余は布団の中で何がおきたか推測は出来るがあえて黙っている事にした。その代わりに大声で二ャン二やンわめきながら布団の周りをまわった。









左回り四回 夫から追い出された枕の位置にきた。それから半回すると戦場の跡のようだ。足が4本布団からはみ出している。。足で押し出されたメガネの形をした くちゃくちゃになったパンツが二つ、これも布団の外だ。わずか半周でこんなに景色が変わるのかと驚きながら夫を見ると鼾をかいて寝ている。もう終わったようだ。一匹の猫が布団から追い出され寒さにガタガタ震えているというのにいい気なもんだ。



余は足の方から夫の股座(マタグラ)を横目で見ながら布団に潜り込んだ。亜鉛の匂いが鼻をつく。なかなか寝付かれない。股座は汗をかいて小さくなっている。親のパンツは布団の外だ。股座の着物は親のパンツだから裸はやむをえない。余は前足でご苦労様と言いながら頭を撫でてやったら、ぴくっと動いて主人が二度は無理だと寝言をいった。


 多分夢の中で妻から要求されたのだろう。余は夫のどら息子を撫でながら苦笑していると、夫が三回なら大いに結構と言った。


余は吃驚仰天、夢が続いている。二回がだめで三回ならよいとは合点がいかぬ。人間研究で有名な猫八に聞いたら、それは休息だ。あちらが立てばこちらが立たず。休息をはさんで前に一回、後に一回 真ん中を中折れと呼ぶ。.



初めての事で好奇の心を持って中折れを調べて見る事にした。辞書には中折れ帽子の事と書いてある。名詞である。動詞は書いてない、確かに息子は頭に中折れの帽子を頂いている。動詞を書くと辞書の権威が落ちると思っている。週刊誌で調べるとスッポンがよく効くと書いてある。こちらは商売の話だ。



 我輩は人間が住む一階の床下に居を構えている。ゼロ階と呼んでいる。ここに住む猫をどら猫と呼ぶ。一階に住む猫は人間と居住を共にする。ニヤンニヤン言いながら甘えるのだがこれが結構忙しい。ペットと呼ぶ。ペットには大きな利点がある。お腹に虫が出来た時だ。飼い主はそれを察して虫下しの薬を食事に入れてくれる。


ドラ猫は薬を調達するのが難しい。地球上に尻をくっ付けて掻きながら歩く事になる。手で掻く事もあるが誤解を招く。この前掻いていたら猫八が通りかかった。お前彼女はいないのかと言って余の股座を覗いた。木彫りの猫みたいに暫く見て居たが此れは動かない、死んでいると言って欠伸をし横を向いた。そこじゃない、後ろのほうだと言ったら薩摩香水の噴出し口かと言った。









 薩摩香水とは何ぞや。早速辞書で調べてもらった。辞書にはなく製造元のサツマイモが代理で出てきた。原産地 鹿児島とは書いてない。我輩は猫だが鹿児島の猫としていささかホットした。西郷さんもよく最後っ屁は西郷さんの屁と間違われ迷惑しておられる。サイゴッペはイタチの屁で西郷とは関係ないと繰り返し述べておられる。天下国家よりこの方が大事と見える。 この芋は使い方によっては素晴らしい威力を発揮する。例えば東大の入学試験だ。試験開始と共に一発ぶっ放す。意識モウロウとしてやっと正気に返ったときに試験は終わる。東大もと臭しと言うではないか。

 我輩の住居ゼロ階は(床下)高さ30センチで猫にとっては最適の高さだ。広々とした室内で客間も会議室もある。神棚と風呂場はないが家族団らんの大部屋もある。冷房も地面に接しているから自然冷房だ。床下換気扇は猫の為に付けてくれたものだ。人間は家を長持ちさせると思っている。猫臭かった床下がきれいな空気になった。うっとおしい梅雨時を快適にすごせる。きれいな空気で深呼吸をしていると一階から人間臭い空気が流れてきた。


 気がつくと一階の換気扇が回っている。一階は人間が吸う煙草、酒、化粧水、殺虫剤、汗など悪臭に満ちている。特にこの諧の主人が放つ風は栄養豊富で蚊やハエは逃げ回ったという。鹿児島では此の種の匂いを薩摩香水と言っている。その昔江戸幕府が薩摩に木曽川の治水工事を命じた事があった。宝暦治水と呼ばれる薩摩義士の話だ。義士の一人草加平太が江戸幕府に尻を向けて放った一発が薩摩香水の元祖だ。義士の名をとってくさかへーともいう。


 一階の換気扇は出来るだけ回さないでもらいたい。どうしても回したければ換気扇を裏返しにつけるか、うなぎを焼く時だけにしてもらいたい。我輩は一階にいった。換気扇を止めるようニヤンニヤンないた。言葉がつうじなかった。此れでは深呼吸出来ないではないか。非常事態が起きた。心無い人間どもはゼロ階から猫を追い出すつもりらしい。


夫婦が上下である時床下で音と声を聞かれるのが嫌なのかも知れない。いざ行こうという時に地下では猫の運動会では気分ものらぬ。




                        こんな方法もあったのか
                   それにカカア天下じゃないか


 夫妻は床下の換気口に金網を張って猫の出入りを遮断した。余は虎になって全猫族を支配した夢を見ていた時の出来事だ。目が覚めたら余は猫になって、ゼロ階に閉じ込められていた。他に換気口は4箇所あるが何れも鉄棒がはめてあって出入り出来ない。暑い日だった。床下換気扇どころではなくなった。








 このままでは危ない。ミイラになる。恐怖が全身に走った。我輩は大声でニヤンニヤンないて緊急事態発生を人間どもに知らせた。生憎一階の住人は留守のようだ。日が暮れた。主人が帰ってきた。我輩は金網で塞がれた出口へ行きニヤンニヤンないて助けを求めた。


 主人は余を見て天にも届く大声でこの馬鹿野郎と怒鳴った。お前のお陰で今日は一日中息子は立ちっぱなしだと言って家のなかえ入ってしまった。一発できなかったくらいで馬鹿野郎呼ばわりは何事だ。近所付き合いの悪い奴だ。この主人は人を罵るときは必ず馬鹿野郎と言うのが癖である。他に悪口の言い様を知らないのだから仕方がない。


 余は此処から脱出できなければ三途の川を渡ることになる。現世でよい事をした者は金と銀で出来た橋を渡る。良いことも悪い事もしなかった者は浅瀬を渡る。悪い事をした者は深い川を泳いで渡る。川底には大蛇やワニがうようよしている。やっとたどり着き岸に上がれば赤い門がある。表札を見ると只今死亡中 生きたい方裏門に行ってお金を払ってください、君死にたもう事なかれと書いてある。



我輩は裏門に行った。看板がかかっている。見るといろいろなメニューがある。
    猫に生まれ変わりたい方は10ドル
    犬に生まれ変わりたい方は10ドル
    豚は無料 。ただし大きくなったら人間に食われる。
    人間に生まれ変わりたい方一万ドル  数々の特典 何時どこでもやり放題。 四十八手で工夫次第。 金さえあれば女は貨車にのってやってくる。




地獄の釜
 余は穴を掘って脱出を試みた。部屋の外側が掘るのは短くてよい。各部屋を点検した。うへー地面は全部コンクリートで固めてあるではないか。余の脚では到底無理だ。第一昨日から飯を食っていない。腹ぺこだ。思案に暮れていると魚屋の黒が通りかかった。呼び止めて鯛の魚を一匹注文した。何か祝い事があるのかと聞いた。腹ペコだと答えた。何?腹ペコだと?其れで鯛の魚だと。やいやい 猫が聞いてあきれらあ、この馬鹿やろう お前には腐ったイワシで十分だ。床のセメントでも舐めておけと言って立ち去った。地獄に仏が地獄の釜にかわった。


 突然電気屋さんが来た。驚いたことに換気口の鉄棒を金きり鋸で切るではないか。地獄に仏とは此の事だ。3本きった。クーラーの配管工事だ。余が自由に出入りするスペースが出来た。








我輩は猫太郎だ。余は住居をゼロ階から、天井裏に移した。夫妻の歓喜と悲鳴を天井裏から、観覧できる。天井裏には特別席があって板の継ぎ目から、夫妻の裸体を拝む事が出来る。板の継ぎ目は横長だからシネラマで楽しめる。

 夫妻が体位を変える度に我輩はニヤンニヤン叫ぶ。試合の途中で休息になる。休息をはさんで前に1回 後に1回 これが夫妻の通常のパターン だ。妻の話によれば、新婚当時から1回戦を2回に分けている様だ。一式 3時間もかかるから休息はやむをえない。


 天井裏に通ずる本玄関は二階の屋根から別棟のコンクリートの剥がれ落ちた所、擬似の玄関は左3メートルの位置で夫妻の目をかく乱させるものだが夫妻はこの玄関に石ころを並べたり手を突っ込んだりしている。擬似を本物にみせる戦法を英語でカブラップと言う。カバーアップと発音すれば、わかりやすい。夫妻は毎晩歓喜と悲鳴を繰り返す。


 とっぜんライバルの猫太郎が入ってきて余と乱闘になる。夫妻の様子がわかる特別席の争奪戦だ。ニヤオ ニヤオと大声で威嚇する。夫がまたかと言って箒の先でトントンと天井を突く。妻がいつまでも猫にかまっているな、、、早く、、早くと催促する。三重奏だ。






我輩は猫三郎だ。顔立ちから言うと美形だ。夫妻の様子は寝室の外から静かに聴いているが壁に耳をつけると振動まで聞ける。突然ドアがあいた。夫が物差しと箒をもって飛び出してきた。裸だった。箒と物差しでトントンと天井をついた。どうやら、天井にいる猫を追いかけているようだ。我輩はまったく無視された。夫の股座が余の鼻をかすめた。噛み付ける高さにあった。



 外形はネズミのようにみえる。天下に何が愉快といって、未だ食わざる物を食い未だ見ざるものを見る程の愉快はない。あのネズミは確か中折れ帽子をかぶっていた。いや肉体の一部かも知れない。


我輩の頭は混乱した。噛み付けば快挙になる。我輩は生まれて初めてネズミを食った事になる。飛び掛るべく腰と後ろ脚を縮めた。狙いを定めた。帽子に似た先端だ。用意ニャんと掛け声もろとも飛び掛って噛み付いた。世の中に何が難しいといって両手の協力なしに飛び掛って食いつく程の困難はない。何時までもぶら下がっていると歯が抜ける。主人の悲鳴が聞こえる。シマッタ ネズミではなかった 夫の肉体の一部だった 歯が抜けると大変 口を開けた途端 どかんと落ちた。尻の穴を直撃し自力なしに屁が出た。







 我輩の近くに多賀山公園がある。頂上には東郷平八郎の銅像がある。日露戦争で大勝利をおさめた海軍大将だ。世界にその名をとどろかした人だが日本では知らない人が多い。


 日本はこの戦争に勝ちすぎたから太平洋戦争が起きたという人がいる。敵の艦隊は全滅し司令長官は捕虜になった。T字型戦法で敵前でとっぜん90度方向をかえ敵に白い腹を見せての総力戦だった。全く予期しない戦法に敵は唖然とした狂喜した、この瞬間勝敗がきまった。皇国の興廃この一戦にあり、各員一そう奮励努力せよというZ旗があがった








 ご馳走を独り占めにしている猫がいた。よく見ると猫次郎だ。我輩と猫三郎が多賀山に行ったことを聞きつけて後を追いかけてきたらしい。一緒に行こうという事になった。猫族専用の近道があるという。5分位歩いた。眼下に鉄道の線路が見えた 



どうも道を迷ったらしい。右手に石造りの橋が見えるのだ。今まで見た事もない橋だ。古い大石を積み重ねて造ってある。何のために造った橋かとんと見当がつかぬ。第一川らしい物がない。水はあるが静止している。ため池のようだ。大きな墓かも知れない。恐くなった。引き返す事にした。後で猫髭に聞いたら文化保存といった。



文化保存とはどういう事かと聞いたら古い橋を分解して他の場所に移すのだという。川も移すのかと聞いたら川は橋の長さに合わせて造るのだと言った。余はびっくりした。川は自然が造り高いところから低いところへ流れるものと思っていた。そのうち太陽は西から昇り東に沈むかも知れない。朝がきて晩になる。それが逆さまだと晩が来て、朝になる。なあんだ。今と変わらないじゃないか。我輩の頭は混乱した。



 桜の木があった。若い女性が木に抱きついていた。下半身裸で美しい足だった。余は相手が人間だという事をすっかり忘れて思わず足に抱きついた。女性は吃驚して我輩の脚を強力に踏んづけた。激痛が走って歩けなくなった。






何処からかパンツの男が現れ余の首筋を掴んだ。左手で余の後ろ左脚を右手を後ろ右脚に握りかえると下手な砲丸投げスタイルで空中を二三回まわつてこの馬鹿猫と言って放り投げた。回転中無事を神仏に祈り体を捻って四足で見事に着地した。オリンピックの鉄棒の金メタルような着地だった。我輩の高等な演技を見て男は頭に血がのぼり期待を裏切られたのか逆上してこの馬鹿野郎と怒鳴って追いかけてきた。


 我輩は三本脚で全速で逃げた。猫次郎も猫三郎も後を追ってきた。逃げているうちに前の一本脚が疲れて動かなくなった。やむを得ず後ろの二本脚でぴよんぴよん飛んで逃げた。猫がカンガールになった。初めての事とて走り勝手が極めて悪い。人間のように後ろ脚二本を交互に動かして逃げることを試みたが同じ所をぐるぐる回って目もぐるぐる回っているうちにパンツの男に捕まった。男はこの馬鹿猫めと言って余の首筋を掴んで近くのごみ箱の蓋を取って投げ込んだ。おおいに反省して座禅でも組めと言って立ち去った。





 ゴミ箱は鉄の棒を組み合わせて作ってある。それに蓋がついている。相当に重そうだ。我輩はこのゴミ箱に閉じ込められた。猫次郎と猫三郎は蓋の上に乗って前脚で蓋を持ち上げようと試みたがびくともしない。「おーい馬鹿猫、お前たちはそこで何をしとるのだ、、」と声をかける猫がいた。見ると口ひげの生えた貫禄のある猫がこちらを見ている。

                                猫五郎


 「余を馬鹿猫と呼ぶほどお前は偉いのか」、、「そうよ、俺はこの辺の猫をとりしまっている警察官の猫五郎だ、以後、見知りおけ」 「以後見知り置こうそれでも、馬鹿猫とはひどいね、、」 「君たちは蓋の上に乗って蓋を開けようとしている、まあいいか、世の中に無駄はないといって馬鹿猫に高等な理論を教えるほど無駄はない、まあ、一時間もすればゴミ収集人が来るよ、ゴミ箱の中の猫もゴミと一緒に出しておけ」、、といって立ち去った。


我輩は加賀山に暫く留まる事にした。空気がよい。車が通らない。水が美味しい。猫次郎も猫三郎も同意した。此処に留まるには、猫十郎の許可が必要だ。事務所は東郷平八郎の銅像の近く、公衆トイレの手洗いの下。猫十郎は脚をのばし此方を見ていた。
 猫十郎が話しかけた。「昨日会った馬鹿猫だね。おやおやゴミ箱に入っていた塵猫も一緒だね。そうそう、さっきから君たちを探している猫がいた。何でも此処の東郷さんの銅像は西郷さんの銅像より大分小さいと言っていた。そら、東郷さんを見ている猫がいるだろう。あの猫だ」。余が振り向くと猫八が東郷さんを睨み付けていた。








 猫十郎は指さした。見ると表札に猫楽園入り口と書いてある。入り口にゆうゆう昼寝をしている猫がいる。門番の猫四郎だ。右の白公は、案内係の猫吾郎、その奥に寝そべって白く見えるのは、吾輩は猫である、名前は未だない、何処で生まれたかとんと見当がつかぬ、、と言っている。此の猫は何処え行っても同じ挨拶を繰り返す。先祖はきっと有名な猫だったのだろう。我輩は興味をもってこの猫に話しかけた。君は知的だね、先祖は誰かね。彼は答えた。ビールを飲んで酔っ払って瓶つぼに落ちて死んだ猫だといった。我輩はそれを聞いてピーンときて其れは誰かすぐわかったが名前は敢えて言わない事にした。ここは知識の程度を計る場ではないからだ。せっかく此処までこのホームページを我慢して見ていただいた人間諸氏に恥をかかせる様な大罪は犯したくない。どうかね、貴公達も夏の間は休暇をとって、有楽園で悠々したら、、みどりと空気と森林浴、素晴らしい世界だぜ。そうだ、猫十郎が音頭をとるから銅像の台座で万歳三唱をしようと言った。




猫十郎は石の階段を3段とびで駆け上がり体を宙に東郷銅像の台座に飛び乗った。「者共 余の後に続け」と言った。猫太郎、猫次郎、猫三郎、猫四郎、猫吾郎、そして自称我輩は猫 氏も、台座にとびのった。万歳、ばんざい、万歳。唯猫八はただ上を見上げ、嘆息して歳にはかなわんといった。



此の地に留まって3年、我輩も歳を重ねた。脚がよろよろ、目も回る。食事にありつけない。死に場所を探している。人間はいいなあ、寝たきりでも飯を食わしてくれる。寝たきりで猫の一生分生きた人間もいる。我輩を介護してくれる猫はいない。我輩は死ぬ。生きているか、死んでいるかとんと見当がつかなくなった。往生際が悪いと思わないでくれ。我輩は西郷さんが好きだ。城山が好きだ。城山に行く。やっと格好の洞窟がみっかった。我輩は眠る。次第に楽になってくる。我輩は死ぬ。楽しくなってきた。死ねば生まれ変わる。死なずして生まれ変わることは出来ない。年月を剃り落とし天地を粉砕して不可思議の太平にいる。波阿弥陀仏 波阿弥陀仏。  







                   西郷洞窟












               大強風が野良猫を急襲

           10台風 日本列島え上陸 全国25万家が被災

                           

     平成16年9月台風18号で野良猫は食を失い濁流に飲み込まれ姿を消した。






森から熊が降りてきて食い物を探すようになった。

お腹がすいた。何か食い物ないかな。




                      八頭大蛇 現る
    猫城

ねこ城は超台風とたたかった。 
巨木や大石は大地を転げ落ち生物は天に舞い上がり吹き飛ばされて餓死した。
動物たちは ねこ城に逃げ込み生を得た。
動物たちは怯えていた。
八つの頭をもった大蛇が食を求めて襲ってくるという。
生き残った動物たちは助けをもとめていた








                              八頭大蛇














朕(チン)は猫十郎だ。猫城の城主だ。
その昔 我輩の十倍もある大熊を一撃で倒して有名になった。
熊は死んだふりをして助かったたと言っている。 
朕は八頭大蛇を退治してこの村に安心と平和をあたえる。


                              大蛇が潜んでいる




ここに大蛇は隠れてとぐろを巻いている。
朕は八頭大蛇を退治すべく猫軍団を組織した。猫軍団の猫は飼い猫で住まいは人間が住む家の中だ。戦いに強い野良猫は青空天井で台風と戦い餓死した。
朕は猫軍団を閲兵した。大なる失望を禁じ得なかった。のんびりしている。貴公子集団だ。戦争ってどんな事するの、、といったぐあいだ。我輩はあきれてつい楽しくてご馳走がでる所だと答えてしまった。



この貴公子集団で大蛇と戦えるか、、朕は緊張の極にあった。


                        猫軍団

    











朕は八頭大蛇を退治すべく三つの戦略を案出した。

   1案)蛇頭が八つだから八匹の猫が飛び掛って各頭に噛み付く。
   2案)八頭大蛇の通り道に桶を八つ置く なかにイも焼酎を入れて置く 酔っ払った各蛇頭を飛び掛って食べてしまう。
   3案)酔っ払って寝込んだ大蛇のチン玉が標的だ。以外に小さい。 総勢で飛び掛りチン玉に食いつく。去勢された大蛇はやる気を失い天下泰平になる。
朕は3案)を決断した。時を待った。




             猫城

日を選び猫城の正門に横に八つの桶を置き焼酎をいれた。待つこと一時間八頭大蛇が現れた。
 八つの長い首が勝手に自由行動をして鼻をくんくんしながら焼酎を捜している。
尻尾は一つ チン玉も一つ  見ると一つの首が桶に首を突っ込み焼酎を飲んでいる。
次も 七つの首が飲み始めた。  時間が過ぎた。 大蛇は皆酔っ払って寝てしまった。








時がきた


朕は巨岩に乗って手を上げた  
 進め  あの股座に突撃 号令一発  猫軍団は飛び掛って食いついた。


猫の一匹が言った。うまい 実にうまい 骨がないから食いやすい。 世の中になにがうまいと言ってこんなにうまいものはない。蛇のちんは初食いだ。猫たちは大満足だ。 戦争て、ご馳走を食べることだったの







時がきた。




 朕は手をあげた。号令した。 ねこ城まで退却。

 蛇首の一頭が目を覚ました。  小便をしたら ちんが無くなっている。
大慌てで ちん玉がない と大声をあげた。  他の蛇頭たちは大声に目を覚まし大いに笑った。


蛇頭は続けた。ちん玉は皆で一つだぞ、、、とさけんだ。蛇たちは真っ青になった。共用だとは知らなかった。 ちん玉がない、、ちんがない、、わんわん泣きながら逃げていった。  朕は勝利した。


  猫城、、、鹿児島県日置郡東市来養母16532 桑木野部落 県道沿いにある
        城は 四方石垣に囲まれ石造りの要塞
     後方 中岳山の絶壁 前方、川で三方囲まれ橋が三つ

只今 鹿児島県が来て城の周りの河川を工事中で(平成20年)猫は引っ越しておりません。猫の先祖は昭和36年ごろ桑木野重三が東京 中野から連れてきたのですが、環境が合わずまもなく病死しました。




































                  総理大臣

                                     画   平二郎

               東京タワーで40年、描いた似顔絵 20万(読売新聞より


東久邇稔彦宰相   (昭和20,8,17-20,10,9

   総理大臣在任54日。民主化政策の遂行を怠り総辞職
日本の史上最短内閣    
               只今墓の下におります。









  幣原喜重郎宰相   昭和,20,10,9-21,5,22
昭和天皇じきじきの説得で政界に復帰総理大臣に
外務大臣は 吉田茂
台北帝国大学初代総長








 吉田茂宰相 (昭和21,5,22-22,5,24)
昭和20年 特高は吉田邸内に二人の女性スパイをお手伝いとして潜入させ吉田の動静を念入りにしらべる。
昭和20年4月15日突然特高に連行され投獄される。 
敗戦 幣原内閣の外務大臣に就任 早速連合国司令長官 マッカーサーと交渉食料援助をもとめた。一千万人が餓死すると言って交渉したが計算違いで倉庫に食料の山ができた。マッカーサーにこの点をつかれると日本の統計がしっかりしておればアメリカとは戦争はしなかったと弁明。 







片山哲宰相(日本社会党委員長) 昭和22,5,24ー昭和23,3,10)

戦前からの懸案だった農地改革が進み地主はただ同然な価格で田を取り上げられ小作人に売り渡された。これで小作人は元気で生き返り地主は収入を絶たれ気が狂い悲劇が起きた。




芦田均宰相    昭和(23,3,10-23,10,15)
日本国憲法の制定にたずさわる









第二次吉田内閣誕生(23,10,15-29,12,10)
      昭和25年6月25日 朝鮮戦争勃発 
無条件降伏した日本。連合国総司令長官マッカーサーはパイプを口にくわえ丸腰で飛行機のタラップを降りてきた。
日本の植民地であった朝鮮は共に日本と戦った筈だが勝ち組と名乗った。朝鮮は二つに分断され北朝鮮と韓国と二つの国家が誕生した。平和であった。
でも此の平和は長くつづかなかった。二つの国に戦争が勃発した。不意をつかれ北朝鮮の大勝利と思われた。アメリカは悪夢をみた。

この日はアメリカが日本との戦争は間違いだったと気づいた日でもあった。
 此の戦争に日本国民は真っ青になったが吉田は違った。 アメリカからもらった平和憲法をアメリカの前面に掲げ不戦の誓いを新たにした。吉田は金儲けに専念した。 
 鉄や銅で鉄砲造って大砲造ってアメリカに売lりつけた。 鹿児島では西郷隆盛銅像の刀が切り取られ泥棒に持ち去られたが鉄砲に加工。 孔のあいた鍋や釜まで召集令状がきて集められ大砲に変身して急行列車。 戦場で傷ついた兵隊さん病院に担ぎ込まれ数知れず。日本は経済大国へ一直線.。

これに比べ アメリカは日本の分まで戦争を背負い込み意気消沈。、何で朝鮮に出張してまで戦争かと厭戦気分がアメリカ全土に広がった。 司令長官マッカーサーは国境を越えた爆撃で被害を少なくと主張したが受け入れられず、合衆国トルーマン大統領によって解任された。 彼は日本との戦争は間違いだったという言葉を残して一人寂しく アメリカえ、老兵消え去るのみと言って姿をけした。











鳩山一郎宰相 (昭和29,12-31,12)
昭和二十七年追放解除で国会え。 
公職追放の時、吉田に預けた総理大臣を返せと迫る。
脳出血で後遺症、それでもロシヤに行き念願の日露国交回復。
役者のトニー谷が手をぶらぶらさせ誰かに(鳩山)に似ているとやった。ひんしゅくをかいアメリカえ緊急避難。



石橋湛山宰相(昭和31,12,23-32,2,25)
大東亜戦争は汚辱の戦争として、国家をほとんど亡国の危機に導き日清、日露両戦役の戦果も全く一物も残さず滅失したと指摘。
今後も靖国神社が存続するならば断じて歓迎すべきでないと述べる。
次男を南方戦争で失い自身も戦争遺族だった。
二三位連合で岸信介を倒し総理大臣に。



 岸信介宰相(昭和33,6,12-35,7,19 )。靖国に行かずに総理大臣になったんですよね。それにしても長生きされましたね。長生きの秘訣は何ですか 。不義理をすること。転ばないこと。、、、義理を立て葬式に行くと次は自分の番になる。 
 日米安保条約 是か非か国論は二分されデモの嵐が全国に吹きまくった。東大女子学生 樺美智子さんがデモに参加、巻き込まれ圧死した。岸総理暴漢に襲われ切りつけれれたが大事にいたらず法案は通過した。内閣は反対派を閣内に取り込み失敗、機能不全でよれよれになった。
太平洋戦争でサイパンが陥落した時 岸信介は降伏を主張、意見が通らず大臣をやめた。東條内閣は一閣僚の辞表によって倒壊した。
( 画 100年先を見ていたら孫の安倍普三が出てきて俺と同じ閣僚人事で失敗をして総理大臣を辞めおった。)



 池田勇人宰相(昭和35,7,19-39,11,9
寛容と忍耐は有名なキャッチフレーズ
貧乏人は麦を食えと失言し不信任決議案が可決され通産相をやめる。貧乏な時は麦を食えといえと言うべきだった。大いに反省している。
所得倍増論で総理大臣え。










 佐藤栄作宰相(昭和39,11,9-47,7,7) 
沖縄を日本へ。核抜き 本土なみの返還をはたす。
日韓基本条約の締結  
非核三原則を果たしノーベル平和賞受賞
後続の総理大臣に福田を望んだが、田中角栄の金力が立ちはだかり総理大臣は田中に。
長期政権も末路は裸の王様だった。料亭で急死。裸でなくてほっとした。
史上最長内閣 兄は岸信介で 同じ畑から同じ種で 総理大臣が二人出たことになる。  これが競馬馬なら億万長者だけど 総理大臣じゃね



  田中角栄宰相(昭和47,7,7-49,12,9) 今太閣 コンピュータ付きブルトーザーと呼ばれた。裸一貫で郷里をたち総理大臣までのぼりつめた。
日中 国交回復。アメリカに事前通告なしだからあのジャップとアメリカを激怒させた。

  日本の裁判はここからおかしな判決が出るようになる。これはその一号

これがアメリカ発のロッキード事件となって田中は有罪判決、刑務所行きに。、、5億円の保釈金でその日に釈放。裁判の判決はふるっている。世間に配慮して、マスコミに配慮して一国の総理大臣を泥棒扱いにした判決だった。一億円が入ったダンボール箱を車から車え次から次に中継ぎで渡し漫画のような小説のような裁判だった。国民は予期せぬ漫画に拍手喝采、 二審は裁判官が万引きで捕まり交代、最高裁は判決が何時までたっても下せず被告が死ぬのを待っていたと思われる。
 長野県と新潟県の県境 水をどちらの川に流すか争いになった。名案が浮かばず陰茎の長さで決めた。新潟の代表が角栄さん 長野が県会議員 立会いは県知事 糸で計ったら角栄さんのが一センチ長かった。角栄さんのアイデア勝ちでご婦人方、ものがものだけに長いの短いの論争も出来ず水は新潟に流れることと相成った。(画 娘 真紀子が自民党を追い出されているのをみて泣いているところ)


 三木武夫宰相(昭和49,12,9-51,12,24  総理候補が4人、お前やれと言われ田舎の村長選挙より簡単に決まった総理大臣。民間から文部大臣を選ぶと言って朝日新聞の論説委員を選んだ。じゃ教科書は、、デモをした話が5回のっていた。ロッキード事件は先頭に立って異常に熱心、三木武夫首相は此の事件を徹底的に究明すると意気込み 警察を指揮、田中角栄を裁くロッキード裁判となった。有罪にするには四つの高いハードルがあった。それを低くして簡単に飛び越えアメリカの証言を遠隔操作で採用し(最高裁で否定)七年の歳月を要し一審は懲役5年の判決がくだった。 (画 トホホ有罪判決だ)
昭和天皇靖国参拝を中止される。









 福田赳夫宰相(昭和51,12,24-53,12,7)
田中角栄の唱える日本列島改造論が破たん超インフレに突入。狂乱物価となった。 トイレットペーパーを買い求める行列ができた。田中に打つ手なく、請われ総理大臣に。
在任中ダッカ日航機ハイジャック事件。人命は地球より重いとしてテロの脅迫に屈し国際的な批判をあびた(画 子供 福田康夫が総理大臣なったのを見て目を細めて喜んでいるところ)






平正芳宰相(昭和53,12,7-55,6,12)
えーあーうー 演説はこれをくりかえす。何の事か聞きづらい。翌朝の新聞は名文になっていた。国会解散 衆参ダブル選挙中 急死した。国民の同情が集まり選挙は圧勝した。あーうーそのー

     総理大臣 臨時代理伊東正義 55,6,12-55,7,17




鈴木善幸宰相(昭和55,7,17-57,11,27)
大平内閣を継ぎ 鈴木内閣誕生 外交で最大の事件が訪米時に起きた。同盟の表現を軍事的な意味合いは全くないと発言、外務省首脳と対立外務大臣伊藤正義が辞任した。社会党出身だから思わず本音が出たのだろう。中韓両国との間に教科書問題おこる。八十二年十月とっぜん総裁選の不出馬を表明する。
(画  頼みもしないのに何で魚屋の俺を総理大臣にしたんだ)


 中曽根康弘宰相。(昭和57,11,27-62,11,6)
国鉄の民営化は国民は望んだが抵抗が強く困難を極めた。民営化反対の国鉄総裁を更迭して成立 戦後 最大の改革となった。小泉改革が出現すると 国鉄、電電公社の改革だけでは小泉改革と比較され淋しくなった。中曽根さん マスコミが天下のご意見番と祭りあげたので調子にのって小泉批判を展開、郵政解散は違法だと言いだした。でもこの人、吉田茂の馬鹿野郎解散は知らないようだ。ひとが全く予期しない時に国会を解散するのを小泉内閣では郵政解散と呼び、吉田内閣では馬鹿野郎解散と呼んだ。 八十過ぎても比例で楽チン 議員を辞める気配なく意気軒昂、中曽根の首に定年ですよと鈴を着ける勇者これなく小泉さんの出番となった。これが機嫌を損ね郵政改革より外交が大事と言って噛み付かれる事になる。(画 議員を辞めさせられ大勲位が政治テロだと怒っているところ)











 竹下登宰相(昭和62,11,6-平成1,6,3)
竹下派 数の力では圧倒したが顔を立て中曽根裁定で総理大臣は竹下へ。これが失敗 だった。総理の座は堂々と選挙で勝ち取るべきだった。半年後リクルート事件が発生 政局は暗転。多くの有力議員が未公開株を貰い、最も批判が集まったのは中曽根康弘だった。結局 疑惑議員を辞職に追い込めず竹下内閣は不評をかって沈没した。(画 中曽根をひっくくるわけにいかんわな、と悩んでいる)




 宇野宗祐宰相(平成1,6,3-1,8,10)
竹下内閣が沈没 外務大臣の宇野さんに総理大臣の白羽の矢がたった。急なことで身辺の整理が出来ず情を通じた女が小躍りしながら出てきて宇野総理との関係の深さをアピール、新聞もラジオも雑誌も記者がよだれを垂らすような うらやましき情景と相成った。指3本だしたので3万円かと聞くと30万円だと女が怒っていた。総理大臣が気に入るくらいだから案外いい器を持っているかも知れない。ネズミ千匹(ミミズの間違い)、、、。ラジオの記者がやけくそになって叫んだ。「あのー宇野さん、、、」 「なんだ」、、「何でも食べよう、、よく噛んで」、、。 (画 女と友達しているところ)





 海部俊樹宰相 (平成1,8,10-3,11,5) もっとも女にもてない男として選ばれた総理大臣。でも宇野内閣を引きずって女がいる、子供がいると雑誌に書かれ大憤慨。俺 昔 文部大臣だったんだ。文部大臣が女するわけないじゃないか。 早稲田大学弁論部で此の人の右に出るものはいない、最初で最後の雄弁家といわれた。湾岸戦争が勃発 イラクがクエートに進行した。  日本は憲法の制約で金だけだしたら血を流していないと評価されなかった。大金を出して評価されない。この反省でイラクは自衛隊を派遣することになった。 (画 女がいると言われ顔も股座(マタグラ)も怒っている)


 宮沢喜一宰相 (平成3,11,5-5,8,9) 天皇 皇后両陛下1992年10月中国を訪問された。歴代天皇ではじめての中国訪問であり宮沢内閣で自慢の出来事であった。
 9月カンボジアでの国連平和維持活動(pko)に自衛隊を派遣した。自衛隊が始めて海を渡ったのである。 昔 ホテルで強盗と格闘し30分に及び刀をもぎ取り捕まえたので世間はおどろいた。あの時その力を改革にむければ今頃日本はアメリカを抜いて、 この人 色気とやる気がないのが特長 一度この人にやる気を起こさせてみたい    (画 強盗を押さえ込み睨みつけている顔)









 細川護煕(モリヒロ )宰相(平成5,8,9-6,4,28) 自民党を飛び出し新進党を結成。小沢一郎の協力で総理大臣に。肥後の殿様にしては手元不如意で一文なし。危ない金に手を出し野党の自民党に資金の流れを追及され万事休す。誰にも相談せず総理大臣辞める。生みの親小沢びっくり。 野党の自民党 まさかの辞職にこれもびっくり。 その昔 うちの殿をよろしくと彼の職場で家来達は頭を下げて回っていた。この人 只今山中で 晴耕雨読の生活で目下独身中、   トイレの肥え桶(コエタンゴ)も担ぐが、、、何?、、水洗がある?、、失礼しました。 (画は昨夜奥さんが尋ねてきた時の顔)



羽田孜宰相 (平成6,4,28-6,6,30)
細川護煕、の突然の辞表に小沢一郎おおあわて、総理の椅子に 羽田孜を座らせ総理大臣とした。
 総理大臣たった二ヶ月かあ。 何か凧みたいに空を飛んで居るみたいだ。 小沢なんで社会党を追い出したんだろう。
史上二番目の短命内閣  (画 只今 後始末中 )




 村山富一宰相(社会党  (平成6,6,30-8,1,11)    
野党暮らしにしびれをきらした自民党、政権ほしさに社会党(現小さくなっている社民党)をかどわかし煽てて総理大臣に担いだ手腕は驚くばかり。村山総理、自民党総裁 河野洋平の肩にまたがり、自民、社民一本化、自衛隊一夜にして合憲、村山劇場はまことに珍妙な光景と相成った。任期なかば自己の良心が邪魔をして総理大臣をキャンセルして夢が覚めた。それでも自衛隊は合憲という土産を残した。 在任中 村山談話を発明。国会で戦争責任を追求された時の特効薬としてよく自民党に利用される。 (画は総理大臣になって騙されているのに気づかず、喜んでいる村山宰相)  



 橋本竜太郎宰相 (平成8,1,11-10,7,30)
自民、社会、さきがけの連立政権。 総理大臣になったとたん待っていましたとばかり山一證券が橋竜にキッスして倒産した。負債額三兆円といわれ、とんだ貧乏くじを引いてしまった。山一と心中 イヤダ、後悔しきり。消費税を5パーセントにあげたが計算違いで更に不況に追い討ちをかけることになった。 歯科医師会から一億円献金疑惑も発覚、 九十八年夏の参院選挙自民党大敗し橋本から小渕恵三に首相が代わった。内閣主導型基盤をつくった総理大臣( 画は歯科医師会からの一億円は知らないと言った嘘っぽい顔) 












小渕恵三宰相(平成10,7,30-12,4,5)
昭和から平成へ。日本で初めて平成と言ったひと。景気は落ち込み株価は下がり続けた。評論家とかその道の著名人を大臣にすえ景気回復をはかったが効果なし。昔 立花隆が何故評論家になったのかと聞かれ何も出来ないから評論家になったと言っていた。頼みの綱は宮沢蔵相の知恵と実行力。でも考えついた特効薬は子孫に負担を残す財政出動のみ。 千秋楽大相撲では旗はたったの三本 空き席がいっぱい。小渕総理 疲労が重なり急死した。(画は旅先から株価を心配して見ているところ)


 森善郎宰相 (平成12,4,5-13,4,26) 
談合で生まれた総理大臣。  倒産寸前の派閥を支えるのが趣味。日本は神の国といって国民の反発をかい総理大臣を辞める。神神の国と言ったと頑張れば辞めずにすむ。談合総理は選挙で勝ち取った総理と比べると簡単につぶれる。大男金と知恵はまわりかね というがお金のほうは潤沢にあるようだ。不人気だが評価されたのはアフリカ訪問が一つ。(画は 日本は神の国といって総理大臣を辞めたときの深刻な顔)


                   戦後最強の総理大臣
小泉純一郎宰相(平成13,4,26------18,9,30)

信長てき破壊力を持つ総理大臣
    
既得権益を全壊させ日本を再生させた。
既得権益とみれば元総理も大勲位も例外ではなかった。(あとで政治テロだと中曽根に噛み付かれた)

小泉が一声吠えれば改革が貨車に乗ってやって来る。

国民が改革という名前をくれたのは小泉総理だけ。


小泉後
          安倍普三 岸信介の孫 総理大臣を体験中 小泉改革反対派から反撃を受け キン太郎を握られ勃起が出来ず 任命した大臣のぼろ探しが始まり 短命内閣で終る。

          福田康夫 福田赳夫の子供 総理大臣を経験 安倍と同じ手を使われこれも逃げ出す。

          麻生太郎 吉田茂の孫 えー 基本的には総理大臣を継続中だが漢字をよく読み違えて原稿にはふりがながつくようになった。爺のように馬鹿や郎解散でもやってじゃまものは追放するか。爺の吉田茂は馬鹿や郎解散によって政界の暴れん坊を落選させ退治した。 爺には出来ても孫ではちと無理だよ やめとけ











  私の履歴書

昭和20年2月僕はトンネルの中に立っていた。僕を乗せた蒸気機関車は6輌の客車を連ねまんじゅういし駅(上伊集院駅)を発車、天にも届く黒煙と爆音で全力で鹿児島方向へ走っていた。 トンネルに入りすぐ下り坂になった 煙も消え音も静かになった。音といえばコトッコトッとレールの繋ぎ目の音だけだ。その音の間隔が次第に長くなり聞こえなくなった。
汽車が停止したようだ。電灯が消えた。2時間ぐらいすぎた。真っ黒だ。客車は満員なのに林のように静かだ。緊張して話す余裕がないのかもしれない。汽車が静かに動き出した。眩しい目で空を眺めるとグラマン戦闘機が二機宙を舞っていた。一機が急降下しながら機関銃をうっていた。汽車は線路の継ぎ目だけの音で西鹿児島駅へ向かっている。

 汽車は西鹿児島駅手前で急停車し全力でバックした。グラマンが襲い掛かってきた。目標を外され飛び去った。市は山に囲まれ機銃照射は限られている。グラマンと機関手の壮絶な戦いであった。僕は成すすべもなく唯、心臓だけが元気で高鳴っていた。、翌日県立中学校の入学試験をうけた。その翌日同じ時刻にグラマンが空襲警報より先にやってきた。家人が出入り口一つだけの防空壕から手招きして早く入れという。入口に焼夷弾でも落ちたら炭になりそうな気がしたので、僕は此処に立っている方が安全と言って突っ立ってグラマンを見物した。右手と左手で輪をつくり手製の双眼鏡でグラマンを見たら大きく見えた。合格。授業一日を受けてその日に休学届けを出し宙返りで鹿児島を後にした。2ヶ月後6月17日午後11時5分鹿児島市は焼夷弾のじゅたん爆撃で、投下された焼夷弾は13万個 全市八回の攻撃を受け灰になった。2316人の命を奪い3500人が負傷した。唯山形屋だけが焼け残り黒こげになった外形を保っていた。城山の防空壕は直撃弾を受け一瞬にして共同墓地となった。

 本土決戦近し 父は出水市 大川内青年学校の校長。 三尺ぐらいの日本刀を刀鍛冶から買ってきた。見ると刀の真ん中に2センチぐらいのひび割れがある。これで上陸してくるアメリカ軍と戦うつもりらしい。翌日 買ってきた名刀でためし切りをした。庭先の大木をアメリカに見立て掛け声もろとも切りつけた。見事にまっ二つ、、でも二つになったのは刀の方だった。 

八月終戦 僕は県立出水中学に転入した。校長は遠藤力雄さん。堂々たる風貌で凱旋将軍のようだった。ひよっとして、戦争に勝ったのかな と思った。でも担任の先生がこの恨みは忘れるな、大きくなったら敵討ちをするのだ と言ったのでやっぱり負けたのだと思った。当時の校長は絶大な権力をもち刀は使わず紙で首をきった。遠藤校長は90歳の時オリンピックの聖火をもった走者と一緒に走った文武両道の達人だった。

高校時代
、、、写真は永代橋
 昭和22年僕は東京駅に立っていた。焼け野が原だった。東京駅の八重洲口から永代橋が見えた。巨大な建物が高さを失い海岸のようだ。瓦礫の山がつづいた。東京に相応しくない木製の小屋が点在した。







よく見ると人間が住んでいる。僕は此処で東京人なるものを初めて見た。日本語を話している。日本語は教科書を読む時とNHKだけだけと思っていた。トイレはどうするのか。僕は関心をもって暫く眺めていた。急行で東京駅のトイレに駆け込み帰りは鈍行で小屋に帰っていた。僕の期待は野糞だったが、東京人は違うと感心した。


 東京見物を兼ねて電気部品を買った。当時は電力不足で電圧が低くラジオを聴くにはトランスが必要だった。山程仕入れた。鹿児島では、このトランスがアツという間に売り切れ残り1台になった。英語のT先生が三顧の礼を尽くして買いにきた。先生 英語の試験に100点くれたらプレゼントするよ、、と言ったら顔をひきつらせ片目を2回つぶった。

 10日後東京で注文した、トランペットスピーカーが着いた。早速下宿の屋根に伊集院の町え向けて設置した。自分の背丈程の長さで1キロメートル先の山に反射して山彦となり3回帰ってきて町中に響きわたった。美空ひばりの 私は町の子というレコードを流した。歌を聴きつけ下笠徳夫君がスピーカーを見に来た。
、、これはいかん スピーカーが税務署の方を向いている、向きを変えると言って勝手に屋根にあがった。見るとスピーカーの尻が税務署を向いている。、、君は敏感だねと言うと、、俺の家はごってり税務署にやられた、君も気をつけろと言って税務署の怖さを説教した。、、僕の親戚に製材業がいた。税金の滞納とかで命より大事な鋸を差し押さえられ動けなくなった。口を開けば税務署の悪口を言っていた。当時一番恐いのは、アメリカでなく税務署だった。僕は未成年だから、手のうちようがないのだろう。商売繁盛で中学校や高校から拡声器の注文がきた。伊集院高校の拡声器は儲けなしに作ったから感謝状をくれた。学校では僕を博士と呼び本名を呼ぶのは僕に借金している瀬戸君だけだった。


         録音機製作
 東京の銀座近く、越前堀の牧国俊さん宅に下宿した。銀座の暴れん坊で一月に35かい刑務所に入ったと言っていた。ある日大学の廊下を散歩していると掲示板が目にとまった。法律事務所から録音機を作ってくれる人の募集だ。10日ぶりに大学へ運動を兼ねて歩いて行くとおなじ看板がかかっている。教室を覗くと同じ顔ぶれが同じ席で講義を聴いていた。それで僕が録音機製作に手をあげた。パーツを神田で揃え3日ほどで完成、大分儲けた。うわさを聞いて幼稚園から注文がきた。こんどは録音機にラジオもレコードも聞けるようにしてくれとの注文だ。世界に例がない。


録音機  テレビ製作工場  立ち上げ

 昭和28年 当時は東京通信工業(ソニー)が録音機を作っていた。オルマイテイテープレコーダーは10日ほどで完成、幼稚園に収めることが出来た。そのうち日赤(日本赤十字社)から注文がきた。南日本新聞がトップ記事で録音機を写真入りで報じてくれた。オールマイテイテープレコーダーだ。工場を見せてくれというのには弱った。工場は畳の上だとは言えず急いで会社を設立した。東京都中野区打越町4番地更新会内に協和音響研究所を設立した。学生社長だ






。正力松太郎の率いる読売新聞がテレビの放送をはじめた。日本テレビ放送だ。当時受像機は一台もなく街頭テレビに黒山の人垣ができた。まもなくNHKもテレビ放送を開始した。、、、写真はテレビに群がった群衆
僕は同時にテレビ受像機の試作をはじめた。シャシーを設計し巻き線機でフライバックトランスを作りキヤビネットは外注した。一月ほどで完成、一号機は京都の伯父 永田芳雄さんが(医師会長)が買ってくれた。伯父は相当数京都にテレビを売ってくれた。伯父はご馳走を食べる金持ちは早死にすると何時も言っていた。伯父の家は大家族で子供七人、兄弟は七人で毎月の仕送り大変だったと思う。僕が世界で一番尊敬する人だった。

     テレビ第一号を設置

 昭和28年群馬県沼田市にテレビ第一号を設置した。東京のテレビが群馬で受像できる大発見、市は大騒動。設置先の産婦人科は見物客であふれた。帰り水上温泉で祝杯 一泊した。
 車はベビーフオード。イギリス製フオードをベビーフオードといった。当時国産車はなかった。トヨタは数年後量産を開始した。天下ごめんで鉄道線路以外は何処でも駐車できた。大学の女子事務職員に高校の後輩がいた。車に乗せてやる代わりに大学の出席日数を水まししてくれた。



 当時テレビは一台ごとに個性があった。最高傑作の17インチは南日本新聞社に寄贈した。新聞社の第1号だった。7インチが主流で30万円ぐらい 量産しているメーカーは日本にはなかった。当時の南日本新聞東京支社報道局は別棟で報道局長の瀬戸口さんはステテコ姿で団扇でチラチラ股下を扇ぎながら暑いあついを繰り返し 記事を電話で送っていた。のち南日本総合サービスの社長。92才で他界した。

   
南日本新聞一号機

 ある日ラヂオ南日本から電話がきた。東京支社総務部長 松枝さんからだ。ラジオ南日本もテレビ放送を始めることになった。テレビの受像機の主任になって、くれとのこただ。僕も東京に会社を立ち上げこれからという時だ。東京中野に家もある。大学も中途半端だ。返事に困っていると、親父から、帰れ帰れの連発だ。そのうち新聞社の専務峰崎さんからお前は長男だろ、田舎のあとを継げと有無を言わさず、東京を後にする事となった。




















        桐原久さん  
 ラジオ南日本に桐原久さんがいた。父は陸軍中佐で彼が十歳のとき他界。久さんは川内中学から、陸軍士官学校、戦争中爆撃機に乗っていた。終戦があと一ヶ月おくれたら特別攻撃隊として出撃する運命にあった。戦後ラジオ南日本に就職した。遊覧飛行中桜島の上空で操縦士を押しのけ彼が操縦したそうだ。同乗の松下清子アナウンサーは悲鳴をあげガタガタ震えていたらしい。後彼は南日本放送の社長になるのだが彼の妹 永子が僕の妻になる。著書に特攻に散った朝鮮人、講談社がある。後映画 ホタル になるのだが桐原久さんは社長在職中消化器出血のため61歳で他界した。

経理部の課長の横に僕の椅子があった。まわりには美しい女性たちがいた。ポケットに艶書のようなものが入っていた。薮にらみを惚れたと思い込ませ僕に大いに恥をかかせようとする彼女らの魂胆が見えた。書いた人と僕のポケットにいれた人は別人のようだ。カバンのなかに録音機を仕掛けておいた。再生すると栄養失調という言葉が盛んに出てきた。どうやら僕のことらしかった。当時カバンに入るような録音機はない。僕の自作だ。僕が意地悪して録音内容をしゃべれば誰がしゃべったか喧嘩になる。 さらに喧嘩を録音して公開すれば、映画になる。タイトルは犯人さがし。真犯人は録音機。うへ〜






 鹿児島でもNHKがテレビの試験放送を始めた。社長が元南日本新聞社の社長吉田勇蔵さん、営業主任が西岡末喜さん、技術主任が僕。南日本テレビサービスがおつきや通りに誕生した。総勢20人ぐらいでテレビの普及が目的で南日本放送のテレビ放送に備えての受像機普及だった。まず電気の技術者を4人採用テレビ修理の技術を指導した。東京からテレビの部品を仕入れ組み立てさせた。組み立てたテレビは画像の質もよく一瞬にして売り切れた。鹿屋市がテレビが映らず全市に同軸ケーブル張り巡らし映る様にした。横川はNHKの協力資金を得て全市映るようになった。ラジオ南日本もテレビ放送を開始した。

 自分が勤める会社だから、当然と考えてラジオ南日本の株式を買った。買った後で株主名簿を見て驚いた。株主は鹿児島県と市町村だ。社長以下誰も株は持っていない。しまったと思ったがあとの祭り。株主として、社長でもいじめてやるか。本社で使いものにならない者は子会社でも使えないから人事の塵捨て場にするなと本社の社長を説教した。僕の抗議が的中し債務超過に陥り会社は存続の危機に陥った。資本金の3倍ぐらいの損失が発生したのだ.













        会社設立
 昭和41年MBCサービス営業所長をやめ有限会社電気堂を設立した。市内郡元にあった自宅は日本ビクターの独身寮に貸し紫原団地の小学校前に社屋を建てた。郵便局、消防署、交番、がお隣りで、紫原の官庁街だ。

 了徳寺正君が暫く会社を手伝ってくれるという。彼は早稲田大学理工学部を卒業、東京の会社に勤めていたが、家庭の事情で会社を辞め鹿屋に帰ってきていた。彼との出会いは大学で真面目に授業を受けているとカライモ普通語で話すのがいたので君鹿児島かと聞いたら鹿屋の了徳寺だといった。


 開店二ヶ月後、待望の税務署が現れた。かってない大法螺をふいた。税務署に大法螺を吹くのは、貴方ぐらいだと女房に怒られた。その分税金も多額だったので二度怒られた。でも多額の納税証明書がここでは絶大な効果を発揮した。国民金融公庫に融資の申し込みをした時の事だ。吃驚するほど沢山の融資をして頂いた。納税証明書を振りかざし此の紋所が目に入らぬかと水戸黄門の気分になった。会社は順調で100台カラーテレビを展示し朝日新聞に100台展示の広告をだした。当時日本には百台展示の店はなく、紫原一区画18台カラーテレビを売った事もあった。


 カラーテレビに買い換えるには今までの黒白テレビが邪魔になる。僕は中古テレビを2万5千円で買い上げた。どんな古いテレビでも2万5千円で買った。販売は急上昇し、大型電気店の部長も自家用に買いにきた。自分が勤めた会社の社員も、買いにきた。店の前が郵便局だったから此処から鞄いっぱいのお金を税務署に寄付した。此れを見ていた従業員の一人が此れは儲かると思ったか独立し近くに電気店を開いたが失敗し行方不明になった。





                 敵前逃亡
 スーパーダイエーが鹿児島にやってきた。恐れたライオンがやってきた。ダイエーとの対決には後ろ盾が必要。西郷さん頼もうと思ったが今銅像だ。大きく舵を切りカラーテレビ100台展示を1台展示にした。一歩間違えば 店の前にダイエー後ろにベスト電器ができ挟み撃ちに会いセンベーになる処だった。他に此の団地に3軒の電気店があったが刀おれ矢尽きて悲惨な結果となった。家を失い妻を失い親の退職金を失った例もあった。従業員は一人を残し全員解雇した。僕の敵前逃亡は正解だったとマジックショウの原邦洋さんは言った。











 電気店から模型店え。プラモデルにミニ四駆がある。電池で走る電動自動車だ。コースを作って走らせる。このコースを店内に設置した。総延長三周70メートルという日本一長いコースだ。子供達の行列ができた。南日本新聞が取材にきて夕刊で大きく報じた。KYTがテレビで放映した。MBCがラジオで実況中継した。店内に140人はいって動けなくなった。、、、写真はミニ四区コース。観光連盟のグッドウイルガイド(英語の通訳)は10年勤めた。パソコンは一年教室に通った。子供は娘二人。長女の婿は姶良で歯科を開業、その兄弟二人はレデークリニックとクリニックの開業医。 次女の婿は鹿児島市で眼科を開業、その兄は歯科を開業している。、
レデークリニックは、不妊治療で有名


        内田善利先生  (知事選に伏兵

 昭和26年 伊集院高校の卒業の時の担任は内田善利先生、僕の特許出願に色々協力をしていただいた。後先生は参議院議員として活躍、勳一等を受賞された。
僕が東京板橋の下宿に居るとき先生が鹿児島から訪ねてこられ、一夜を僕のせんべー布団で過ごされた事もある。それから数十年後、鹿児島県知事選挙で先生に大変お世話になった。
総務省の総括審議官  伊藤祐一郎さんが鹿児島知事選に立候補した。僕の弟の嫁の弟だが 突然の立候補 このままでは鹿児島が危ない、危機感からの立候補だった。保守の自民党は分裂し県政史上類を見ない激戦となった。総務省を辞めて選挙まで僅か5ヶ月、相手は知事推薦の県会議長だ。
伊藤さんは鹿児島では知名度ゼロ どんな豪腕でも勝てる状況ではない。東京から官房長官の阿部晋三さん 総務省の麻生太郎さん。財務省の谷垣定数さん。京都から、京セラの稲盛さんが応援にかけつけ総力戦となったがそれでも劣勢(南日本新聞)。
織田信長は二千の軍勢で数万の敵を打ち破ったが この知事選は誰も知らない日本最強の伏兵がいた。県民は鹿児島が膨大な借金で財政再建団体一歩手前だということを知らない。50人の県会議員は危機感なく自民にあぐらをかいて乗っかって見物している。 鹿児島を救える人、鹿児島では県の財務状態をよく知っている伊藤祐一郎氏をおいて他にない。鹿児島出身 内田善利氏頂点の大軍が選挙まえ突然現れ 自民を敵にまわし  土俵際の大逆転、 六万四千票、大差の勝利となった。
平成十七年一月一日いつも先生から頂く年賀状が来ない。不安になった。四日ほど遅れていただいた。数ヶ月後、福岡大地震発生、他界、涙がとまらなかった。先生は鹿児島の将来を憂い此の戦いに命をかけられたと思う。86歳であった。






















写真は車の古い免許証より。
新しい免許証の写真は 古い顔であった。

 額の真ん中にアザがある。
     ここから光がでればお釈迦様だけど、電池切れでね.

 お釈迦様のも電池式? いや、発電所はヘソ下にある。座禅を組んで指でつつけば 発電出来 ,女を見ただけで発電する。    桑木野重人

            
























               片目で人間社会を覗くと結構面白い 猫八


            世の中に何が愉快といって
     パトカーに追っかけられ逃げ回る人間を見る程の愉快はない 

     パトカーに追跡されたらこの マニュアルで

 パトカーがサイレンを鳴らし追いかけてきたら制限速度で左端を走る。

 何も聞こえない耳を持つか、ラジオの音量を上げ外界の雑音を遮断 精神の安定をはかる。
パトカーが追い越す瞬間を静かに待つ。

 追い越す瞬間は対向車は来ない。パトカーが追い越したら

 スピードを落とし後ろを確認  ハンドルを右にいっぱい切ってUターン、悠々制限速度で逆方向に走り去る。

追い掛けるパトカーは、Uターンするには道路の左列に入らないとできない。

苦労して左列に入っても対向車があるとUターン不可能、 

後続車があるとこれもUターンできない。愛車は東へパトカーは西へ理想的な遁走スタイルが出来上がる。 

こりゃだめだ    パトカーはここで追跡を諦める。  若しパトカーが追跡を諦めず事故現場に入ったら警察が追いかけたから事故が起きたという理論ができあがる。裁判になる。若し裁判に負けたら、深追いのし過ぎだと判決がでたら? 攻守所を変えパトカーは逃げ道を探す事になる。

若しここで、このマニュアル使わなかったら下のような事になる。

追跡を諦めたパトカーに  逃げる殿下はパトが追っかけてくると信じ込み顔は真っ青、

警察に捕まるか、それとも逃げるか勝手に想像し アクセルを踏み込みながら おおいに迷う。気づいた時は交差点の真ん中で、善良なる市民に空中衝突。、、こんな悲劇は50年前から繰り返されている。

たまにUターンに成功、追いかけてくるパトカーがいる。このときはマニュアルの裏を見ればよい。裏にはしっこいパトカーの対処法と書いてある。読むと裏は表と同じ事を書いてある。

   ドライバーの皆さん スピード違反で大事故を起こすより制限速度で此のマニュアルを













              夏の散歩はサンダルで。


真夏に分厚い靴を履く 。.散歩をすると足が発熱し発酵する。
毎回臭いを嗅いで靴を履く。
真夏は裸足で歩く。サンダルは手で持ち散歩は裸足で歩く。 土、アスファルト、セメントの道路を裸足で歩く。どうしても歩けないデコボコ道はサンダルで歩きましょう。
足裏は神経が集中している。
足裏から道路のデコボコを電気信号にかえて頭のてっぺんの脳に叩き込む。脳は多くの情報の対応に追われ走り出す。
お灸や針も脳を刺激するが、こちらは時間とお金がかかる。
道路のデコボコと散歩の時間を利用するから持ち出しはゼロ円。 脳活性の分 丸儲けで大変 お目出度い。
最初は歩く時 足が小石を踏んで痛いことがあるが足裏は厚く出来ているから、泣かないですむ。それより回を重ねると痛さが気持ちよさにかわり(新婚さんと同じ)楽しい散歩になる。
足裏で土の味見シテ歩く。楽しさと脳の活性化が同時にやってくる。
学校の校庭の土は裸足の散歩には最高の場所である。校庭の鉄棒にぶら下がると歩くと速度は早くなるからあら不思議。
 昔は皆裸足だった。でも現代人はちょっと雨が降ると靴を大事にして散歩を休む人が多い。
そんな日に裸足で歩けば水に濡れた別の情報が電気信号となり脳に送られ倉庫は満杯となる。効果はレントゲンではアルツフアイマーだが元気な人に、難聴が地獄耳に、80歳が60歳に。



           止まれ 馬鹿や郎

 私は大声で叫んだ。とまれ ばかやろう。
 此の一言が私の命を救った。車は急ブレーキをかけとまった。衝突を避けられた。
 20年6月10日朝6時
 KTS鹿児島テレビ放送の前の交差点の出来事だった。
 朝6時 赤から青信号にかわったのを見て、スピードを落とさず、ハンドルを右に切って車が飛び込んできた。
とっぜん目の前に現れた車。動転する間もなくあの世が、地獄が、、