鹿児島大学ボウリング同好会 青雲病院のホームページ こてる写真館

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美輪明宏を語る (2008/10/19記) 2012/02/05(日) 晴れ

今日は朝から日曜当直。当番Nsはタッピー看護師で外来で当直明けの「イヤまだ」Nsともどもしばし話などした。
その中でどういうきっかけだったか忘れたが美輪明宏が話題に上った。

あの美輪さんである。私はつい最近NHKの「SONGS」という番組で彼(彼女?)の歌を聴き感動したばかりだからそのことを熱く語った。
以前も日記ネタにした「ヨイトマケの唄」を聴きまた目頭が熱くなり、ほか、若さの苦さを歌った「砂漠の青春」、最近トリで歌うという喜納昌吉の「花」三曲すべて良かった。
私は素直に美輪明宏はすごい人だと思っている。NHK収録のあの「ヨイトマケの唄」フルコーラスバージョンを超える歌唱は他の誰もが真似できない。
桑田佳祐、槇原敬之、米良美一らがこぞって持ち歌にしているが本家本元の圧倒的な表現力には叶わない。見たことのない人も見れば納得すると思う。例えば↓以下のサイトなど参考までに。
http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg
歌だけはなく演劇(「黒蜥蜴」など)もすごいし同性愛者としての生き様など一本芯の通った人だといつも思う。

だが、最近はあの超ド派手な衣装、髪、風貌での存在感が目立ち、タッキーNsによると携帯の待ち受け画面に美輪さんの画像をしていると運勢が良くなるとかで評判らしい。
で、その画面を見せてもらったらこれがすんごい絵。髪の毛、衣装、背景すべて真っ黄色。黄疸患者も真っ青な、いや真っ黄色な得も言われぬ画像だった。
「先生にも送るからさ」ともらったが到底これを毎回眺める気はしない。「黄色は金運がよくなるんだって」と言われてもネー。

痛風の全てを教えます(2002/3/17記)  2011/09/21(水) 晴れ

困った・・・。
今日は日記に書くネタが多すぎるのである。メインになるネタが少なくとも三つはある。
朝の「おはようボウリング」昼の「痛風の講演会」夜の「デジカメ購入」。
それぞれが十分に日記ネタとしては使える。しかし全部書くのは時間と労力が大変だ。
さてどうしようと思案しているうちに眠たくなって結局書けずじまい。寝てしまった。

よし分かった。
今日書かないといけないのはやはり「痛風」だろう。
翌3/18の南日本新聞にも大きくこの会の記事は載っていた。
一日遅れになったしまったが、今書かねばしらけるというものだろう。

3/6の日記「趣味は痛風」に書いたが、「こうなると早めに行かないと座れないかも」は当たっていた。
私はトーフクのおはようボウリングのあといったん帰宅し、
シャワー、昼食とやったたため、車で着いたのが20分前。
止める予定だったダイエーのパーキングはずらっと並んでいて間に合いそうもなかった。
ここでハタと困り、思いついたのが高麗橋近くのその名も「納病院」の駐車場。
行ってみると2台分空いていた。
私はここの病院に週1回勤務していたことがあるし、
なにせ「納」大先生に聞きに来なさいと言われている身分。文句はなかろう。
県医師会館までは歩いて5分。開始5分前に着く。
しかし、宣伝が効いていたようでやはりメイン会場には入れなかった。
一階下の中ホールに誘導されるもここも結構つまっていた。
後で聞いたところ受付の1時半でもメイン会場には入れなかったそうだ。(新聞によると800人!も)

最初の演者は日本の痛風研究の端緒を開いた御年80才の御巫(みかなぎ)先生。
この人、神主みたいな名前だと書いたが、家は何とやはり神主、それも由緒正しき伊勢神宮の神主さんだった。
で、話の内容はというと、「痛風には三つの不思議があって・・・」
すみません、そのあと寝ちゃいました。
いや面白そうな話だったんです。
でも、いかんせん朝6ゲーム投げ、メシ食ったあと満腹状態の薄暗いホールの中といったら・・。

ふと気がついたら、二人目の鎌谷先生の話が始まるところ。
こちらは「痛風とは」から始まり、予防、治療など素人にもわかりやすく講演してくださった。
印象に残ったのは都会的でスマートなそのしゃべりくち。
NHKの「今日の健康」に出てきそうな先生だった。調べてはいないがきっと出ておられる方だと思う。

休憩時間に知り合いを見つけた。
おや、あれは2内科の後輩にして元鹿大医ボウリング同好会出身の「困る」先生じゃないの。
聞けば「こてる日記」からの情報で知ったとか。
奥さんが日記の「愛読者」とか言ってたぞ。(毎度ありがとうございます)
次回の納杯ボウリング大会にも出てみたいとか。
かつて何回か優勝したことのある堅実ボウラーだ。こりゃ楽しみだね。
(2001/12/22の日記「ゲロおさめ」に彼のことをちょこっと書いていた)

休憩後、いよいよ納教授の「専門医が痛風になって-患者の立場からみた痛風-」の始まり。
大体、ゲストがトリを務めるものだが、ここではホストが満を持しての「本日のメインイベント」である。
「日本の痛風のNO.1とNO.2の先生」(あとからは「二人の第一人者」と言っていた)と持ち上げてはいた。
しかし何よりしゃべりたくてうずうず、そしてどうだと大見得を切りたかったのは納先生自身であったのだ。
一般市民はもちろん第一人者たちにも聞かせたかったのである。
それを現実に出来る、やってしまうパワーとエネルギーには恐れ入った。

内容は南日本新聞から抜粋しよう。
「痛風を専門分野の一つとする第三内科教授の納院長は、
「昨年8月、突然右足の指の付け根に激痛が走った。何で専門医のオレが…」と切り出した。
しかし若いころから大量のビールを飲み続けていたとして「患者になるべくしてなった」
 その後は自分の体で「人体実験」
痛風治療の指標となる血中の尿酸値の変化に注目、実際に飲酒と禁酒を繰り返したり、
出向いた文部科学省でストレスを受けたときの相関関係を調べた。
この結果、「尿酸値は毎日大きく動いていた」と“研究成果”を披露した。
 納院長は「初めて患者の気持ちで病気を考えることができた。
この体験を生活習慣病の診療などに役立てたい」と締めくくり、大きな拍手を浴びた。
医者の不養生ともいえる体験談はユーモアにあふれ、満員の800人で埋まった会場は爆笑に包まれた」

面白かった。自らの体験を交え、執念とも思える人体実験は呆れを通り越し脱帽であった。
それとコンピューターのプレゼンテーションソフトを有効に駆使していた。
あれは優秀なPC使いが3内科にいるに違いない。還暦になったばかりの先生がとても自作したと思えなかった。
(後日この日記を読んだ先生が唯一「抗議」したのがこの箇所でした。
「あれはすべて自分がコンピューターを駆使して作った」ということです。
これはこれは失礼いたしました。)
あと、タイトルであれ?と思ったのは、納先生って痛風の専門医だったっけということ。
少なくとも私は初めて知った。いや、今となってはまぎれもなく専門医だからいいんだけど・・。

講演が終わって聴衆からの質問コーナー。
これが意表を突いた。私にとってはこちらの方が興味深くもあったのだ。
シ、シロートとは・・・う〜ん、す・ご・い。

最初の質問者はいきなりこうだ。
「痛風の患者の99%は男だとおっしゃる鎌谷先生の話は私には信じられません!」
この男性の妻は足や腰がダメになり歩くことさえままならない、
トイレに行くのも犬猫のように這いつくばねばならないくらいなのに、というわけ。
おいおい、それって痛風の症状と違うんじゃないの?
案の定、「痛風で腰が痛くなるというのはほとんどありません。よく先生に相談なさった方がいい」

次。中年男性。
「20代のころから尿酸値が高いと言われたが薬を飲むのがいやだったので、
某クリニックの先生の本を読んで玄米菜食中心の食生活に変えた、
肉・たまご・砂糖・牛乳・クリーム・コーヒーを摂らないようにした、
そのあと3回くらい痛みが来た、このままの食生活で痛風に今後ならずにすむだろうか?」
おいおい、もう痛みは来てるじゃないの。痛風なりまくり!
案の定、「そのままでは不十分でしょう。尿酸値を計ってきちんと治療された方が・・」
納先生の話を聞いたかな。少量の薬を飲んだら適当にビール飲んでもほとんど尿酸値は上がらないのよ。
この医療の進んだ時代なのにその恩恵をまるで拒否するかのようだ。
民間療法に近い治療法へなびく人の多いことよ。

その次の人。声からして高齢の女性。
「今日はとてもいい話をお聞きしました・・・」
私は33才の時から左脚の痛みが始まり今では体全体が痛む。
ツーフーじゃないかツーフーじゃないかと思い、あちこちの病院を周り巡った。
痛風じゃなかろうといわれたけれど、今日の話を聞いて明日にでも納先生の病院を尋ねてみようと思う。
ところでヲサメ病院はいくつかあるようだけど、どっちにいったらいい?
ここで壇上、聴衆両方から笑いが漏れる。
苦笑しつつ納先生が返事。
「この建物の隣のクリニックは兄がやってて高麗橋の病院は弟たちです。私は鹿児島大学付属病院なんです」
納兄弟は4人とも医者であった。
それにこの人の症状も痛風というよりリウマチかなんかじゃないの?
案の定、「リウマチもしくは整形外科の先生に診ていただくほうが・・・」と言われてしまった。

私は思った。
「痛風」という字面からして痛みのくる病気なら何でも痛風かと勘違いしている人が多い、
それと脳卒中の昔のことば「中風(ちゅうふう)」と似ているためかこれとも勘違いしている雰囲気もある。
しかしこれが素人の現状なのだ。
医学的知識、それもきちんとした知識を正確に知っている人は少数なんだろう。
病院の中にいると案外気付きにくいものだ。

さて、そろそろ質問コーナーも最後のひとりか・・5時には両先生とも帰京されるという。
しかしこの、結果最後になったご高齢の教養の高そうな御婦人。実は最強の質問者だった。
始まり「私は御礼を申し上げたいと思います。私はこの会に何としても馳せ参じたいと思い参りました」
この時は納先生にこにこ、御巫先生あごに手をやって聞いていた。
1分後「3年前東京からこちらに来て、夫が突然痛風を発症しました・・」
納先生にこにこ、御巫先生下を向く。
2分後「最初は外科に飛び込みました。何かバイ菌が入ったのではないかと思い・・」
納先生うなずき、御巫先生腕を組み、鎌谷先生は姿勢を崩さずじっと聞いていた。
3分後「大学病院に行ったら2内科を紹介されたところ、行くたびに先生が代わり、
これはちょっと(おかしいのではないか)・・」
納、鎌谷先生動かなくなった。御巫先生肩が落ちてきた。
4分後「ある方から痛風の本をもらいました。私は熟読しました。3回も読みました・・」
3人の先生、カタまったまま。
5分後「その本の末尾に鹿大3内科丸山芳一とありました。(今日の司会の先生だ)
そこで丸山先生に診ていただき大いに安心したわけであります・・」
納先生少しイラ?御巫先生額に手をやりうつむいている、寝ているのか。
6分後「薬も半量になりそして一日おきになりよくなりました・・
その本を読みますと痛風友の会というのがあるとか・・」

??・・・
おいおい、このおばはん何が言いたいんじゃ。会場の空気は2、3分前からおかしい。
ここで納先生、意を決したようだ。
「はい、わかりました。質問というのは友の会にどうしたら入れるかという・・」
「え?いえいえ」
「それでしたら受付に置いてありますよ」
「いいえ、それは結構なんです。もう今は友の会に入る必要はないんです。丸山先生がいますから」
「わかりました、それで・・質問は何でしょうか?」
この辺でもう、私は笑わずにはおられなかった。最強の質問者とはいつまでも質問しない人のことだった。
7分後「はい。質問はですね。
高尿酸ということで一生薬を飲み続けなければいけないのでしょうか?
薬を止めればまた高尿酸になるのでしょうか?」
思わずズッコケそうになった。
おい!こら!10秒で済む質問やないか。
俺たちゃ、延々7分もの間「痛風身の上話」に付き合ってたんかい。
礼儀正しく丁寧な物言いで教養のありそうなこの御婦人、止めなければあと30分はしゃべってた。
お目が覚めたか、御巫先生が最後に「止めれば戻ります。体質と言っていいです」でちょんちょんだった。
会場からは笑いが漏れ、ようやくお開きとなった。

会館から外に出るとなんとフサンコ従兄がいるではないか。わざわざ田舎から来たのか。
おお、そう言えば以前彼も痛風発作が出たことがあった。
「新聞で知ったんでしょ」
「いいや、お前の日記でだよ。あとから新聞の記事も見たけどね」
おっとー、少なくとも二人は「こてる日記」に触発されたわけだ。
彼は納先生の話がやはりおもしろかったらしい。
いや色々とためになる講演会であった。

帰宅する前に電器屋に寄るつもり。
悩んでいたデジカメ機種、ここ2週間の検討に次ぐ検討でようやく結論が出たのだ。
機種は決まった。あとはどこで買うか、あるいはネットで注文か。
そして帰りがけ、友人の店である「バンバ電器」は通り過ぎ「ヤマンバ電機」に向かっていったのである。

(なんと「こてる日記」史上、最長の日記となってしまった。
あの昨年の2/10の2回に分けた「並ぶはTDL」より長い!)

デル・バラード vs ピート・ウェーバー 2000/6/11記 2010/05/04(火) 晴れ

9年前の5月、夜遅く麻雀から帰って何気なくNHKの衛星放送を付けたら、外人さんのボウリングをやってた。
経費節約のためか英語オリジナル放送。ま、言葉は分からなくても、見れば一目瞭然だから気にならない。
見てすぐに思ったのが、「こいつら、たかがボウリングにすっごい緊張しまくっている!」ということ。
TV決勝でタイトルがかかっているのだから当たり前なのかもしれないが、
それにしてもそのマジぶりには笑ってしまうくらい。
優勝賞金は2万ドル程度(当時で約200万くらいか)とほんまに安い。
おまけに各ボウラーの試合前インタビューで、
「ツアー(試合)にでるための資金を祖母に援助してもらってどうにか頑張っている」
とか答えている奴がいたりして、何とマイナーなこと!
それでも画面は迫力があり、引きつけられた。

さて決勝。
4位から勝ちあがってきたデル・バラードJr。
こいつがデブでハゲのくせして、ガターぎりぎりにすごい回転の曲がるボールを投げてくる。
待ち受けるは、ピート・ウェーバー。
こっちはきびしい表情で、それにTVを意識しているのか、えらいカッコつけ。
中盤まで投球フォーム、球筋などから何となくウェーバー有利だなと思って見ていた。
4ピン差で負けていたピート・ウェーバーは渾身の投球で、
9、10フレームをパンチアウトし、先に終了。プレッシャーをかける。
しかしデル・バラードは10フレをダブルして最後7ピン以上倒せば勝ちという局面。
一投目ガターすれすれからぐぐっと曲がってストライク。
二投目きれいなストライク。

「カモン。イェーッ!ベイビー!」

デルは勝利を確信し絶叫した。あと7ピンで優勝。
ほう。勝ち上がってくるだけあってたいしたもんだ。
ウェーバー有利とみた判断は間違いだったか・・いや、ひょっとすると・・とかすかな予感。
で、やってくれました。
興奮状態にあったか、デル・バラードの投球はガターすれすれではなく、ガターそのものに。(◎-◎)
会場は悲鳴のあとしばらく静寂。ややあってぱらぱらと拍手。
立ち上がってバンザイのあと、先に頭をかかえたのはピート・ウェーバー。(何て言うことだ!しかし、素直に喜んでいいものか)
デルは頭をかかえたあと、座りこんだ。

わたしは唸(うな)った。
たかがボウリングにこんなドラマがあろうとは!

それから毎週PBAの放送を楽しみにし、ビデオに収めていたが、このときのゲームは録ってなかった。
タウン情報誌に「誰か収録してませんか」と投稿するも、まるで反応なし。
3年後、大阪のプロショップのドリラーが持っていると知り、ダビングさせてもらった。

放送を見て2ヶ月後にはマイボールを作り、ますます私はボウリングにハマっていったのであった。

 2002/9/26 2009/11/08(日) 晴れ




沿































「放送禁止歌」(2004/10/14記) 2008/10/25(土) 晴れ

昨日のちっちゃなニュースで「歌手の山平和彦氏交通事故で死亡」というのがあった。
山平和彦とはだれ?そんな歌手知らないという人が99%だろう。私も知らなかった。
でも「放送禁止歌」を歌った歌手というところで、興味を持った。
あの歌を歌っていた人だったのか。

それこそ30年近く前、親戚のフサンコ兄が持っていたフォーク歌集の中にその歌はあった。
その「放送禁止歌」は歌詞がほぼ四文字熟語のみで構成されている珍しい歌だった。
タイトル通りに放送禁止になったという。
「世界平和 支離滅裂、人命尊重 有名無実、定年退職 茫然自失、傷痍軍人 時節到来、皇室批判 人畜無害、・・・・」
何じゃこりゃ。
「はは。おかしいやろ」フサンコ兄は笑っていた。
さらに歌詞を追っているとこんな四文字がー。
「・・放送禁止 先刻承知・・」
これは確信犯ですね。

こんなんで放送禁止になるんだ。でもこの歌詞のどこがいけないの?
中学生だったか高校生だったか、そのころの私には分からなかった。
どうやらタイトルが放送基準を馬鹿にしているということや、
「傷痍軍人 時節到来」はマズイということだったらしい。
そこは「山平和彦 時節到来」に変えたが結局発売禁止にまでなったという。
その後数枚アルバムを出すもたびたび放送禁止の憂き目にあい、
歌わなくなっていたが、3年前に活動再開していた。
その矢先、ひき逃げ事故で死んでしまった。享年52才。

そうそう、実は一回も曲を聴いたことがなかった。なんせ放送禁止歌だから。
ネットで調べ、さわりの部分だけ試聴できたので興味のある方はどうぞ。
http://mora.jp/artist/80308117/KMLG00040/
(現在は視聴できなくなっています。すみません)

しかし、放送禁止歌なんて結構つまんない理由でなったりする。
一番なりやすいのは歌詞に差別用語が入っているケース。
特に身体障害、部落など厳禁だ。
部落問題を扱った作品で有名なのに岡林信康の「手紙」という曲があるらしい。
だが、肝心の部落解放連盟からはいっさい抗議らしいものはなかったということだ。
「びっこ」や「おし」の歌詞のために禁止されたというのは分かるが、
丸山明宏(現:三輪明宏)の名曲「ヨイトマケの唄」も一時期放送禁止だったとは驚いた。
歌詞の中に「土方」が入っていたというのが理由らしいが、当の三輪明宏が憤慨するのも分かる。
土方(ヨイトマケ)の母ちゃんが嫌で側も通らなかった息子が、
後にそんな母ちゃんは世界一と歌い上げる感動的な歌で、
NHKが若き三輪明宏の映像付きで放送したのを私は見、すごい歌だ!と驚きさえした。
「土方」が放送禁止語で、だからといってそれが出てるだけで禁止歌とは短絡的な。
歌詞の内容をよく読めば何の問題もないことはすぐにわかるはずだ。

放送禁止語で言ってしまいやすい代表が「きちがい」と言う言葉。
本人は別に精神病のことを言うつもりはなくてもだめで、
「サッカーきちがい」とか「きちがいのように勉強した」もダメ。
阪神ファンのことを「トラキチ」と縮めてもダメだそうだ。
これを言ってしまうとすぐに「ただ今不適切な表現がありましたことをお詫び致します」となる。

そうそう、横溝正史の「獄門島」はどうなる?
有名な「気違いじゃが仕方がない」のセリフはトリック以上に重要なポイントでこれは省けないはず。
ところが調べてみて驚いた。
TVドラマではピーが入るかセリフを最初から言わせないかだと言う。
それじゃー台無しじゃん。
横溝正史の最高傑作のみならず、日本の推理小説読者投票でも大抵1位になる名作だというのに。
TVドラマでは「犬神家の一族」や「八つ墓村」の方が多いのはその辺りの影響か。
唯一フジTVの深夜の再放送でそのままセリフを流していたケースがあったらしい。
(話は全然違うが、10月9日の「こてる日記」に芭蕉の俳句が出てくる。
「無惨やな、かぶとの下のきりぎりす」
これはもちろん「獄門島」を読んだ故のこと。読んだ人なら知ってるよね)

放送禁止語や放送禁止歌は業界のいわゆる自主規制である。
確かに必要なものであろう。でもそこに事なかれ主義や上っ面だけの理由が見え隠れすることもある。
魔女狩りならぬ単純な言葉狩りに走らぬようして欲しいものだ。

超人!工藤進英(2001/3/16記) 2008/09/23(火) 晴れ

夕方、県医師会館へ大腸の研修会&講演会へ。
私の席の隣は2内出身の山ンバ君で、同業のDrたちも大勢来ていた。

シンポジウムと称する大腸がらみの話もおもしろかったが、チト専門的なおもしろさなのでここでは割愛。
本日のメーンイベントは大腸内視鏡の第一人者の工藤進英(しんえい)先生の講演であった。
10年以上前はほとんど無視されていた陥凹型早期大腸癌の存在を示し、秋田の日赤病院で次々にそれを見つけ、現在はそれが当たり前になってきているのも工藤先生の功績である。
見つけるのが困難なため(約500人に1人)、当時は学会でも「秋田の地方病では・・」とか揶揄(やゆ)されたりしていた。
今、日本では疑う人はいないが、これが海外ではまだなんである。
「・・ただし、日本では例外で・・」なんてまだ言われている。
この辺、先生も未だ苦慮されているとのこと。
内視鏡検査は日本が進んでいるため、海外ではなかなか見つけられないのと、「ポリープから癌になる」説(決して間違いではない)が幅を利かしているからである。
ポリープ由来の癌は大腸癌全体の1〜2割だろうとの工藤説は、日頃検査をしている身としては実感できる指摘であった。

いろいろ驚くこともあった。
今までの1日の大腸内視鏡検査の最高検査数はびっくりの30件!にわかには信じがたい数字だ。(ホントに一人でやったのか?)
平均3分台で盲腸に到達するとは言え、朝から夕方までやって休む間もないだろう。
そもそも30人も患者さんが集まらない。七五調病院で昼前から8〜9人CFやって、ヒーヒー言ってる場合じゃないぞ。

この4月から昭和大医学部の教授に栄転され、そこの病院で大腸内視鏡を20本以上そろえるという話にも度肝をぬかれた。
20本?
いやはや驚きを通り越して、ただボーゼン。盛運病院や七五調病院では1本しかないのよ、大腸内視鏡は。ちょっと多いところでも3〜4本でしょ。

一介の外科医、しかも地方の病院から日本をリードしていったバイタリティにただただ感服の一夜であった。

季重ね (2001/4/16記) 2006/12/08(金) 晴れ

夜、送別会の合間にちょっとだけ本屋に寄ってみた。
近ごろ滅多に本屋に行かないせいか、見たい読みたい本がいっぱいやねー。

姶良の本屋にも「Bowling magazine」があるかナー・・やっぱりない。
こんなだからもう何年も定期購読している。(読み続けて今年で祝!満10年)
ただ、今月号はすでに出ているはずなのに、まだ届いてない。
で、おかしいと思っていたら、まだ購読料を払い込んでなかったらしい。
妻に問いただすと「うん?」だ。
必ず1、2ヶ月前には「引き続き購読しましょう」の封筒が届くはずなのに・・

あっという間に蛍の光のメロディーが聞こえてきた。
こんな時つい余計な本を買ってしまいがちなもの。
今回は私にしてはいずれも珍しいたぐいの本3冊を買ってしまった。

「俳句入門」銀林晴生監修

俳句を作ろうという気などさらさらない。
例の公文俳句カードをチッチが気に入っていて、未だに私と俳句問答している。
そうなると俳句について基本的な知識を知りたくなるわけだ。
なお、この間テルが自分で(俳句を)初めて作ったーと自慢してたヤツがこれ。

「春の雨 花びらくっつく 車かな」

雨と風のせいで車のリアガラスに桜の花びらがたくさんくっついていた、そういうことらしい。
ま、一応カタチにはなっている。
テルはお調子者で、何でもすぐに手を出し、少しでもうまくいけば「オレって天才!」
たいがいその後が続かないんだけどね。
俳句もいつものパターンだろう。意欲は買って誉めてあげた。

「俳句入門」によると季語は一つにするのが原則らしい。
「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」などは例外で、普通は季重ねはよくないと言う。
そうすると、テルの俳句には「春の雨」「花びら」の春の季語二つが入っており、季重ねだ。
また、この編者の季重ねの例として出していた俳句に苦笑した。
「だしぬけに桜を散らす春の風」だって・・(季語は桜、春の風)
少しオドロキもしたよ。テルの俳句とほとんど発想、状況が同じじゃぁないの。
かわいそうだから、さすがにテルには教えてあげなかった。
編者の銀林さんもこう書いてある。
「はじめは幼い表現であっても繰り返しつくっているうちに・・・適切な言葉で感動を表現できるようになります」
つくってみようしたその気持ちを大事にしてあげないといけないわけだ。

「これを英語で言えますか?」

去年ベストセラーになった本で、私はどちらかというとベストセラーにすぐに手を出さない方。
大腸内視鏡のときによく使う「仰向けに寝てください」を英語で何というか?
姶良方面のカゴッマ弁では「おなけ寝やい」というらしい。
内視鏡のむっちゃんナースがよく使うが、私は寡聞にして知らなかった。
どうも、あおむけ→おおむけ→おむけ→おなけ、と変化してきたようだ。
英語では「Lie on your back.」というとのこと。
でも外人さんなんかにCFすることなんてまずナイ、やね。

「巨人ドラッカーの真髄」

経済書の類はまず買ったことがない。
90才にもなるこのピーター・F・ドラッカーという人は、
この間NHKの深夜、20世紀を代表する人たちへのインタビュー番組に出ていた。
日本では経営学の神様扱いされているらしいが、番組での肩書きは社会生態学者となっていて、
バブルやインターネットの時代なども2、30年前に指摘出来ているのはなぜかと質問を受けていた。
おもしろそうと値段も見ずに買ったが、1600円もするとは。
あとでこの内容なら安いもの!であって欲しいもんだよ。

「我は海の子」知らないの? (2000/7/24記のものを再掲) 2006/09/23(土) 晴れ

「海の日」に鹿児島祇園之洲公園で「我は海の子」の歌碑除幕式があったという。
鹿児島出身の文学者・宮原晃一郎氏が作者であることが10年以上前に判明し、
錦江湾を思い浮かべて作詩したのが由来とのことである。
わたしは素直にこのことを喜ぶ。

今回のことでは新聞は当たり障りなく記述しているが、歌碑が建つまでに実は紆余曲折があった。
例えば、平成10年9月9日の南日本新聞の広場欄にある人が投稿している。
「今ごろ何故、我は海の子の歌碑を建てる必要があるのか。
あの歌の歌詞は軍国主義を無条件に賛美したものであることは明らかである。
平和憲法と相容れない。
それでも建立を望む人々には、旧日本軍兵士によって殺された罪のない人々の無念とその家族の苦しみ、悲しみをまず考えてみなさい。
あの歌を好むのは自由だが、公の形にするのは賛成できない。」
だいたい以上のような主張であった。

極端なこと言うなあと思う人がいるかも知れない。
いったいどこが軍国主義なんだ?と不思議がるかもしれない。

問題はこの歌の歌詞の最後にあたる7番目の歌詞にある。

「いで大船(おおぶね)を乗り出して
我は拾わん海の冨。
いで軍艦に乗り組みて
我は護(まも)らん海の国。」

なるほどこれじゃ軍国主義と言われても仕方ないかな。
だから20年以上も前、及び腰の文部省はこの歌を教科書から削除しようと画策していた。
(その理由がむずかしい歌詞が含まれているからだと!笑わせてくれるよ)
のちに復活したのは当然じゃ。
軍国主義といえば、驚くことに同じ海の歌で、海は広いな大きいな〜の「ウミ」の方が、
実は軍国主義のために作られていることはあまり知られていない。

そして中には神経を逆なでするわけでもあるまいが、この歌詞をことさら強調したがる人もいる。
4、5年前だったか、「題名のない音楽会」であの黛敏郎氏(平成9年死去)がやってくれました。
その日の最後、少年少女の合唱でこの歌を歌わせていた。
1番2番は通常通りの歌詞だったが、次は3番の「高く鼻つく磯の香に・・」ではなく、いきなり7番を歌わせたのだ。
「ま・ゆ・ず・みぃ〜。このやろ!(失礼)やってくれるなぁ・・」
いかにも右翼的文化人と目されている氏がしそうな行為だ。(その信念は立派か?!)
しかし、だから文句を言う人がいるんだよな。

わたしはどちらの立場もとらない。

私は「我は海の子」という歌が大好きである。
(子供の頃は「さわぐ磯辺のま・つ・ば・らにィ〜」のところで、みんなが一斉にわたしの方を振り向いたりなんかしたな。)
今でも、しょっちゅう車の中で聞き、あるいは鼻歌でよく歌う。
爽快なメロディーに微笑ましいくらいの気宇壮大な歌詞。いや、そんな理屈などいらない。
くりかえしくりかえし歌ってもなお飽きが来ず、
100年近く経っても、私だけでなく多くのひとに愛されているということは、この歌は純粋に名曲なのだ。
名作は人を感動させる力がある。
そして人はその名作のことより知りたいと思うものなのである。
さらに大切なものは記念に残していきたいのである。
名作「我は海の子」の作詩者が鹿児島出身で、なおかつ錦江湾を歌ったものということは、同郷出身として実に喜ばしい。
歌詞もそのまま7番まで私なら許せる。
まあ、誤解する人もいるだろうから、歌碑は3番ぐらいまでなんでしょう。

ちなみに「浜辺の歌」は秋田県、「ふるさと」「おぼろ月夜」は長野県、「雪の降る町を」は山形県にゆかりがある。
では「春の小川」はどこか?
正解は東京都。渋谷付近の小川だったらしい。ま、知ってるひとには簡単な問題でした。
しかし、今日は私の唱歌オタクぶりがブリブリに出てるな。

ともあれ、「我は海の子」の問題でゴタゴタを好まないのは、
大事な宝物をしょうもない理由や極端な主義主張で傷つけられたくない心情からきている。
よくCMなどでもこの歌は取り上げられるが、最近聞いた話で、ある人の小さい娘が歌っていたそうな。

「わーれーはうーみのこぉ、しーらないーの〜」

だから言わんこっちゃない。
みんなでしっかり後世に伝えようぜ。

「なんつぁーならん」どなぁ、是枝さんのカイセッは。(2001/8/8 記)ー是枝昭男解説シリーズー 2006/08/19(土) 晴れ

夜、AirMacの設定がうまくいかない。iBookに直接LANケーブルをつなぐとうまくいくのだが・・
いくらやってもダメ。iBook持っていって明日肉之倉Drに聞いてみよう。

甲子園が始まった。
仕事があるのでじっくりTVを見ることは出来ない。
1試合目は常総学院が15−4で上宮太子に勝った。
2試合目は「花咲爺さん」いや違った、「花咲港」これも違う、「花咲徳栄」とか言う高校だ。
およそ学校の名前とは思われない。さらに「はなさきとくえい」とは読まず「はなさきとくはる」と読むらしい。
宇部商に12-0の大差で勝ってしまった。ふとイヤな予感。
甲子園はこんな時3試合目も大差の勝負になる雰囲気が出来る。大丈夫か?樟南。
昼も検査があったのでほとんど見ることは出来なかった。
ちょっとのぞくと案の定負けている。4分6分で不利と見ていたから意外ではない。

終盤やっと見ることが出来た。チャンネルは何と言ってもKKBだ。
今年はあの「是枝昭男」さんが解説者(というより応援オヤジ)として復帰しているからだ。
私は5年前から見ているが、いやはや甲子園の実況がお笑い番組だったとはそれまで気が付かなかった。
ここ2年ほど出てこなかった。病気だったのかな。代わりの解説者ではゼンゼン。
去年も是枝さん出てこなかったので、思いあまってKKBにメールでなぜ?と質問までしちゃったよ。
結局返事なんて来るわけなかったが、今年は地方大会で解説していたので楽しみにしていた。

村川アナ「日大三、打撃も守備もかなりのもんですが」
是「ま、うわさではな」
アナ「樟南の本田君、いい守備してますねえ」
是「じゃしとー。鮫ちゃんじゃっでや。サメちゃん」
アナ「サメちゃん?・・サメちゃん・・・サメ=ジョーズ=上手と言うことですね」
是「じゃっど。おまんさぁもあたいがジョークがわかいごっ、なったなぁー」
アナ「2年ぶりなんであまり是枝さんの解説に慣れてない方もいらっしゃるかと思います。
ま、聞き流していただいて、雰囲気で分かってください」

是「そいじゃがー。やった!やった!あたいがふかすっ時ゃ調子がよかとっじゃっどー」
是「あんまい意識すっといかん。下伊敷ぐらいにしとかんと」(完全な鹿児島市北部ネタ)
是「かごっまんみなさん、もういっとっ待っちょいやい。こらー、樟南しィーよ、ヒッサロー、行けー」
9点目を日大三に入れられ相手に感服。
是「こうなれば私も・・どうすることもアイ・キャン・ドットじゃらいな」
「村川さん、甲子園に長いこと来っどんな、こげんしは初めてじゃっどナ」
「あたいがかねっなら樟南しをチンガラッ言うたっどんな。相手が素晴らしでやー」
9回ウラ、樟南の反撃。相手のショートの動きを見てエラーを予測した。(さすが解説者)
是「・・おっ!ポロッ。やったやったやったー!そいじゃがー!」
「薩摩隼人の横ばいのこじっくいの見せんとイカンぞ。ヒッサロー」
ひっさろー、とは気合いを入れてガンバレとか言う意味で久しぶりに聞いた。
子どもの頃、私も母のアッコネーサによく同じことを言われたもんだった。

代打の我那覇のスリーランホームラン。
「よぉーし、やったやったやったーぁ!はいったぁー!ふぅーぅーー。じゃしとー」
「久いかぶっ、是枝ラッパをふっでけたがーまたこら、尻(しぃ)ー、火がちたどー」
「行け行けよ!行け行けどぉーどぉーセセクイの茶屋ずい、ちゅー言葉もあっでなー」
(この辺になると意味不明。あとでよく考えると、瀬々串の茶屋まで行けーと言うことか。
是枝さんは谷山出身ということだから、隣市の指宿の谷山最寄りの瀬々串のことだと思う)

そして最後に決まり文句。
是「う〜ん、なんつぁーならん」
いやはや、楽しませてもらいました。
初戦で負けたことより、是枝さんの「なんつぁーならん」爆笑解説が1回しか聞けないことが残念だわー。

高校野球談義(2002/08/11記)ー是枝昭男解説シリーズー 2006/08/18(金) 晴れ

田舎へ墓参りに行った。
昔は野外で墓石だったのだが、今は共同墓地で一つ屋根の下の中にあり、便利だけど風情はない。
実家に行く前にトシバーの所へ寄った。術後の回復もいいようで、相変わらずまるまる太っている。
それにしても、家の中の乱雑さにはさすがの私も声を失うほど。(あまりに汚いので記念&証拠写真を撮った)
片づけが出来ない人は物を捨てない。だからどんどん家の中に物があふれかえり・・・。

実家に行くと弟の2女のアーコちゃんがいらっしゃ−いとお迎え。
ちょうど高校野球が第4試合、樟南と岩手の一関学院が始まるところだった。
普通はNHKで見る方が、CMもないしカメラアングル、話題の豊富さで朝日放送系より優っている。
でも鹿児島のチームの時だけはあの「是枝昭男」さん解説の応援実況がある。
あのオヤジの名(?)解説を聞くだけでもKKBにチャンネルを合わせる価値がある。

試合前、弟のヒラーキと野球談義。趣味は結構違うがスポーツ観戦ではよく意見を言い合う。
ヒラーキは「樟南の野球はあんまり好かん」という。「貧打線」だとバカにする。
「貧打線」とは思わないが、好みでない点は私もほぼ同じ。
鹿児島にしてはそつのない野球を目指し、バントは絶対出来ないとダメ、まずは守備からのチームカラーだ。
ライバルの鹿実は打撃のチームのことが多い。ただそのためか取りこぼしもある。
県予選などでは樟南の方がやや勝ちやすいだろう。
しかし一観戦者としてみた場合、勝負にこだわりすぎるそのカラーが鼻についたり、面白みに欠ける時がある。
例えばだいぶ前、県予選で弱小チーム相手に5回以上牽制を続けたのを見たことがある。(いいかげんにせい)
また「必ずバント」のイメージあり、意外性がなく、見ていて精神の解放感というかカタルシスが少ない。
高校野球にそんなことを言ってもー・・だろうが、
例えばかつての蔦監督率いる池田高校の野球に大勢の観客が押し寄せたことを思えば、
ファンが高校野球(というより野球)に何を求めているか分かって欲しい気もする。

今日の試合、結果はご存じの通り内容的には優っていながら0-1で一関学院に破れた。
一関学院の監督「勝ったという気がしない」
樟南枦山監督「100試合に1回の負け。野球の難しさを感じた」
確かに。私に言わせれば20回に1回あるかどうかの試合展開だった。
ヒット2本しか打たれなかった。岩崎の投球は最高だった。エラーも無かった。しかし負けた。

まずほとんどエラーに近い内野ポテンヒットのあった5回、1アウトで3盗を決められた場面。
(あとでこれは岩崎の2塁牽制が少ないという相手の研究によるものだと判った)
ここで私と弟はスクイズに関して意見が分かれた。
ワンツーのカウントでも弟は絶対「スクイズ外し」をしろ!と主張。
私はしてこないかもしれないし、カウントを悪くするからどうかな?
それに鋭いスライダーにはスクイズも難しいだろうと。
で、スクイズ決まって、弟は「バカーだなあ。オレが監督だったら絶対ハズさせるぞ」
私は相手監督はエライと思った。勝負度胸がある。ギャンブルに勝ったのだ。
一方、樟南のバッテリーの考えはあとで新聞などによると私と全く同じだった。
あの落ちるスライダーは県予選では一回もバント成功させなかった、と。
結果この1点が勝負を決することになった。

ただ、その後の樟南の各打者の打撃には少し問題があった。
「江川な人」ならぬ「こてる」な人の目で見ると、あせりを思わせるシーンが幾つかあった。
ノーストライクスリーボールの場面があった。次は90%ストレートボールだ。
勝負に出るならここでスイングするべきだった。
狙い球は直球に絞れるし、それにヒットにならなくてもいいのだ。
これを見たバッテリーは次うかつに真っ直ぐを投げられなくなる。
精神的に動揺することもあるし、ボールになるスライダーを投げ、フォアボールになる確率が高い。
樟南の打者はそう教えられていると思うが0-3の時は1球見逃すようだ。
で、ど真ん中を見逃し、次の難しいボールを内野ゴロ。この全く同じパターンが2度あった。
見逃すんなら2度目も3度目も見逃すべき。それが出来なかったのは「貧打」だけではなくあせりがあったのだろう。
結果が分かってのことではない、TVを見ている時に弟じゃないが私はそう言っていた。
2度目のこのパターンを見て負けるかもと思った。
堅実でないと安定した成績は残せない。しかし、堅実なだけでは突き抜けられないのが勝負事だ。
一関学院はこの打撃では勝ち進めないだろうが、立派な試合内容であったと思う。

是枝昭男さんもこの試合展開ではどうも調子が出なかった。
この人は攻撃のときにまさに舌好調になる。
しっかし、相手の投球を「ごまかしの投球」とか「そろそろ化けの皮が剥がれるぞ」とか、よう言うわ。
さすがは応援実況、さすがは是枝オヤジ。NHKにはとても言えないセリフ。
でも試合途中、午後5時55分で打ちきられてしまったのは民放のつらさだった。

そのころデンコー親父が帰ってきた。
「やっせんもんじゃ」と観戦しながら毒舌を吐く。
その時、樟南の我那覇選手がセンター前にポテンヒット。
相手センターはもんどりうって首から前に一回転。
「くっどま、へっしょれば良かとけっ!」とデンコー。
これを聞いて田舎の鹿児島弁がほとんど分からないカールが「はあ?」と首をひねる。
「首など、へし折れてしまえばいいのに」と言ってるんだよ。ヒュー。
「まあ」と目を丸くするカール。

是枝オヤジよりすごいオヤジがここにいた。

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