そら豆をつくらんか
1999/7/1(木)
病院での勤務にフラストレーションを感じている私に六則(叔父)は、「そら豆をつくらんか」と深い意味を込めてであろうかそれとも無責任にであろうか運命の助言をしたのである。
車で10分ほどのわりと便の良いところに畑を借りた。
のめり込むタイプの私には、旧態依然とした病院勤務は振りあげた斧がわが身におちる毎日である。
畑の作物に関心を割くことで楽な気持ちで毎日が過ごせそうである

竹きり
1999/7/25(日)
そら豆の支柱に竹を切り出しに行く
25ミリ程の太さの竹を選び鉈で切り倒す
手入れのなされていない竹林は行く手を阻み出入りに苦労する
切った竹は180センチの長さに揃え10本ずつ束ねた
手伝いについてきた長男は10本程で厭きてしまった
120本切ったところで日が暮れた

芽だし
1999/8/1(日)
豆の季節感をだます人間の仕業を紹介しよう
豆を土に埋め潅水して根と芽を1センチ程誘う
催芽された豆を冷蔵庫にひと月置き冬だと思わせる
冷蔵庫から畑に移された豆たちは春を確信しいっせいに成長する

植付け
1999/9/7(火)
農協の冷蔵庫から里帰りした豆たちを畑に連れて行く。
穴を掘り一個埋め土をかける
次の豆をつまみまた植える
しばらく経つと400個の豆たちは土の中に消えた
近寄る細菌に消毒薬を水に溶きかける
しばしの別れ

いっせいに芽吹く
1999/9/12(日)
5日ほどして畑をのぞいてみると芽を出している。
おおっ
感激、うれしい

台風接近
1999/9/23(木)
鹿児島は台風に慣れている。
今度の台風は近年になく強く、大きく、遅い。
折角の豆たちも台風の前には一たまりもなく吹きちぎられるだろう。
農家の人たちは寒冷紗をかけだした。
私が小学生の頃までは蚊帳といって寝るときにきめ細かい網状の布を部屋にかけていた。
蚊を避けるための道具で蚊取り線香などない時代だった。
その蚊帳と似たようなものを寒冷紗というが豆たちの上にかける。
豆たちにとって苦しい時が始まるが吹きちぎられるよりはましである。

いつのまにか秋
1999/9/26(日)
運動会シーズンに突入した。
小学校区、幼稚園、小学校、指宿市。日曜日は運動会だあ。
風は秋色に吹いて来る。
夏の間に晴天の日が何日あったろう。
夏が来ないまま秋の日差しをあびて走っている。

う〜ん、うまい
1999/9/26(日)
指宿小学校区運動会の帰りに五男さん(叔父)に誘われて
なのはな館(県立高齢者交流センター)に行く。
屋上の喫茶店でシモンジュースを飲む。
「良薬口に苦し、青汁はまずい」
軽い驚きを覚える。
おいしいのだ。芋の葉のジュースで苦いという先入観があったがとんでもなかった。
喫茶店のスタッフの試行錯誤でさっぱりおいしく飲めるようになっている。
バナナと牛乳で臭みを消したようだ。
これはいい。高血圧や便秘の方には美味くて健康になれるジュースだ。
ここだけでしか飲めないのが何とも残念である。

シモン苗の植付け
1999/10/10(日)
シモン苗の植付けを手伝わないかと五男さんから電話。
指宿市民体育祭に子供が出場するので断る。
体育祭の帰り、畑を覗く。
まだ植えていたので手伝う。
通常は梅雨前に植え付けて夏から秋に収穫するのだが
全国展開しスーパーの野菜売り場に並べるには通年栽培が求められるため
温泉熱利用のビニールハウスに今植え付けて正月に収穫する。

持つべきは叔父
1999/10/11(月)
夏に雨が多くそら豆が病気になった。
400個のそら豆も今では半数位に減っているのだが、予備の豆が無い。
一年目はさんざんだあと思っていたら六則さんが豆を見つけてきてくれた。
予備の苗を植えて400個の仲間はふたたび勢ぞろい

恵みの雨
1999/10/26(火)
急に発達した低気圧が夜半に通過。
充分な雨が降った。
緑が息を吹き返した夜だった。
風も強く吹いた。これは蛇足である。
そら豆たち根を痛めてないかな

小父
1999/10/27(水)
畑の周りの住人たちに登場願おう。
周りにはなぜか専業農家が少ないのだがガチガチの農夫婦がいる。
初めの印象が悪かったのか真理子(妻)がオジと呼んだのでそのまま小父と呼ばれている。
夫唱婦随。今日も薬剤散布に来ていたが小父が散布し小母がホースを絡まぬよう移動する様は滑稽でもありある種の感激さえ覚える。
二人とも腰をかがめ等速度運動する。文字で表現すると 『 『・・・・・『 『

唐船峡
1999/10/29(金)
隣町の開聞町に唐船峡という落水の窪地がある。
ここは涼しくて町が回転式のそうめん流しを始めたら大ヒット。
年間を通して近隣、観光の客が絶えることが無い。
ここのそうめんのダシを一般にも売り出した会社が唐船峡食品だ。
ここが五色のソーメンにシモンのうどんをセットにして売り出す。
おいしくて健康にも良いとなればいい事ずくめなのだが、如何せんシモンの生産量が少ない。まもなくお歳暮シーズン、今年はこのセットにしようかな。

無農薬
1999/11/5(金)
朝6時まだ薄暗いなか起きて畑へ行く。
ポリペールに水を汲みアタプロンとDDVPをいれる。
水は45リットル、薬はそれぞれ1500倍から2000倍に希釈する。
青虫がそら豆の葉を噛んでいる。
手で一匹一匹摘んで捕っていたが追いつかない。
隣の小父が「薬をかけんか、ホジョがこっちに移る」と言ったのが二日前。
環境は連続している。
一農家の無農薬栽培など無理なのだ。
生命は連鎖している。

たぬき温泉
1999/11/9(火)
畑の隣人その2
建築会社の社長夫人が白菜などをつくっている
この上林山さんが水迫、臼山地区の村湯をつくってみなさん重宝している。
27名ほどの会員制村湯。畑帰りに泥を落とすにはもってこいだ。
作った当時は私も会員になるつもりだったが人数制限で入れなかった。
夜、掃除がてらはいりにいった。
コンクリートの打ちっぱなし、立ち木の中ビニールハウス並みの壁。
いぶすきロマン温泉が正式名称だが、我が家ではたぬき温泉でとおっている。

初収穫
1999/11/14(日)
サニーレタス2束
我が菜園での初収穫である
夕餉は焼肉
サニーレタスは多少苦い
虫も食べないよなあ
無農薬栽培にご協力ありがとう、青虫殿

淘汰と進化
1999/11/17(水)
そら豆の脇芽には勢いがある
1本の苗を4本仕立てするのだが次から次へと芽がでる
作業が遅れて青々と育った枝に鋏を入れるのは忍びない
後から出る芽が太く育つようである
淘汰され進化し淘汰され進化し淘汰され進化し
何になろうと言うのだ

シモン収穫
1999/11/21(日)
シモンいもの収穫を手伝う
8月に植えたシモンは根が太っていない
期間が短いせいもあるがシモンの収量は少ない
全国の多くの産地が撤退したのもやむなしという感である
糖尿病や高血圧の方々に喜んでもらうには
一層の努力を要する

年の瀬
1999/12/30(木)
プロバイダーへのアップロードに障害がありしばらく更新できず
本日再開
そら豆も幾つかの病気に遭い、息絶えたもの乗り越えたもの
生命力の差、運の違いを感じさせられる
そら豆は実をつけ収穫できるものもある
そら豆作りでの収穫は生命力そして生命に思いが至ったことだろう
もちろん豆もおいしい

菜の花
2000/1/10(月)
菜の花の咲き誇る沿道を走る、走る、走る
今年も一万三千人のランナーが全国から健脚を競いにやって来た
今日は空が雨でできている
体から湯煙をあげてひた走る者
ゴミ袋を纏って完走を目指す者
まちをあげての声援が空に届き昼から止みそうである

収穫、収穫、収穫
2000/1/16(日)
ジャガイモの葉が枯れたので収穫した
握りこぶし大のいもがころころと出てくる
黒い土の中に白い肌が現れる
大根も抜いた妻の足より太い
色白の肌、つるつるの肌
サニーレタスも収穫だ
黄緑色の縮れッ毛
ほうれん草はやっと大きくなった
これでポパイが来ても安心だ
そら豆を初収穫した
コンテナ一つ12キログラム
植物の生命力、私にもつくれる

寒の月
2000/2/12(土)
二月は冷え込んだ
霜が降りた
寒風が吹きぬけた
雪も降った
収穫期にはいったそら豆は寒さにまいっている
豆は霜害で傷んでいる
このそら豆はしおれている
あの枝も倒れている
私もうなだれる

千客万来
2000/2/13(日)
浜崎一家&浜崎妹一家がそら豆狩りにやって来た
子供をぞろぞろと引き連れ
そら豆をそろそろと収穫する
バケツに二杯ほど溜まったようで
まあまあの満足である
山川のヘルシーランドで温泉にはいって
暗くなっての帰宅となった

生命
2000/4/4(火)
親父が心臓の手術を受け一月余り
退院して久しぶりの我家である
人工弁をつけて立派なサイボーグである
名前は七雄だからさしずめサイボーグ007
パワーアップ?した能力は15メートルを自力歩行
健常者の7割の記憶力
まあまあの満足である

見え麗しく
2000/4/24(月)
そら豆の花も咲かなくなって久しい
そろそろ終末
葉も実も錆び病で赤いソバカス娘になってきた
青白い面は売れていく
赤ら顔は私の胃袋に納まった
家族の胃にそして友人の胃に

甥が縁を契り我は老いていく
2000/5/10(水)
1日に姉の長男が結婚した
久しぶりに横浜に出かけて式に列席する
この前までオムツしていた子がいつの間にか大人になっている
私は何をしているのだろう
時は私の周りでゆったりと流れ
遠くでは早く流れているのだろうか
老いだけが時の正確さを証明している

友来る、嬉しからずや
2000/5/20(土)
突然の迷子メールが飛び込んできた
メールアドレスも間違っている
ほっといて良かったのだがアドレスを直して返信した
「 永山さんから電話よ 」
呼ぶ声にはっとして受話器を取る
何と迷子の親である
予期せぬ人からのメール嬉しからずや

そして何もなくなった
2000/5/21(日)
そら豆畑を片付けた
ビニール平テープをはずす
豆の茎葉を根っこから引っこ抜く
支柱の竹を抜く
銀マルチをはがす
畑に描かれていたそら豆に関する記憶は消し去られた
一年間の奮戦の痕跡が何事も無かったかのごとく土に還っていった

夫の犬と子どもの犬
2000/6/8(木)
親父が犬を飼うと言い出した
家で何もせずに毎日を過ごすより
犬の散歩で外気を吸うだろうと喜んでいた
駄目
お袋の一言で決着がついたのだ
浜崎からメール
子どもにせがまれて犬を飼った
キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル
親は子に弱い、夫は妻に弱い

夏だあ
2000/7/1(土)
青い空に白い雲
もくもくもくとせりだした雲は
夏の到来を告げている
新聞折込広告は
エアコンの売り出しを告げていた

中学生の子育て
2000/7/12(水)
長男が中学生になった
私も自動的に中学校PTAの一員です
地域PTAの懇談会があり参加する
ビデオを見て子育ての勉強
ビールに焼酎を飲み地域の輪をつくる
これで子育ての環境いっちょうあがり

船出
2000/7/21(金)
長男が錦江湾一周にでかけた
ゴムボートを10日間漕いで湾を巡る
夜は海岸などでキャンプ
昼はオールを漕ぐ
中一になったこどもの船出である

夏も終わり
2000/8/19(土)
あちこちの夏祭りや盆踊りに出かけて
踊った夏が過ぎようとしている
今晩は勤務先の夏祭り
踊りも今夜で終いかな
出だし好調の今夏も
台風の度重なる訪問に腰砕けになり
今まさに秋に季節を譲ろうとしている
二週間したら運動会である

夢か現か
2000/11/7(火)
金子の工面ができない我家は旅から遠ざかっている
代わりに旅してくれるというのでお願いしたのです
ドイツへ旅立つ我が分身を送り出し
待つ事しばし便りがとんとんと入ってくる
ハンブルグからカッセルへと足を延ばしているもよう
クローンは実体、バーチャルは仮想
いずれもわが身の代わりなれど
わが身を気遣う 夢か現か

棋王戦
棋譜  2001/2/14(水)
羽生VS久保の棋王戦を観戦に出かけた
ブロロブロロ
空調機のたてるくぐもった音が緊張感を伝える
羽生の超越した力量を目の当たりにした一日
11連覇するのだろう
10年一昔
2昔目に向かう羽生
独自の境地を拓くのだろうか

無力感
2001/7/7(土)
勤務先で職員を解雇した
性格の悪い栄養士の進言を
院長が丸ごと受け入れた結果である
総務の仕事柄
不本意ながら解雇を伝えた
無力感
私は何をしているのだろう
天職というものはあるのだろうか
私の天職はどこにあるのだろう

市町村合併
2002/8/30(金)
一市四町での合併枠から一町が離脱し
一市三町の合併話が進んでいる
合併を前提とした説明会が開かれている
参加しても出席者も少なく、説明もつまらなく
こんな不毛な準備活動だけで合併していくのかと
歴史が動く瞬間に立ち会ったような感じである
つまらぬ事柄の繰り返しこそ政治家の得意とするところ
無用の参議院をなくせば国政経費が半分になるなんて
目立つことはしませんね

吉鶴旗争奪剣道大会
2002/9/8(日)
修也(次男)の属するスポーツ少年団も二学期に成果をだすべく試合に臨む
小手、面、なかなか決まらない
引き分けての代表戦、どちらが勝ってもおかしくない試合
善戦した修也だが1本負けを喫した
10月に二大会ある
しっかり練習を積んで臨んで欲しい
がんばれ少年剣士たち

市会議員選挙
2002/9/14(土)
六則さんが市議になりたいと話す
それじゃ応援しないといけないね
事前運動は後援会員の勧誘に名簿作成
選挙期間中は名簿拡大、電話戦術、葉書戦術にオクラ収穫の代行
全てに初めてのことでこれで良いのかと不安が募る
特にオクラ収穫は早朝起きての作業で体調を崩す

オクラ
2002/9/15(日)
見上げた空は青く、白い雲がたなびいていた
緑色の茎先に中指ほどのオクラが見え隠れする
ポトン、ポトン摘まれた実がバケツに落ちる
やがて静まると下げたバケツが重たく感じる
オクラが視界から消え一畝すむとコンテナに空ける
ポトン、ポトン
青と白の背景に緑のシルエットがまた広がる
毎朝の作業風景である

畑は音で溢れている
2002/9/17(火)
今朝もオクラ収穫に出かけた
薄紫色の帯がはがれると空が高くのぼっていく
近所の庭先で鶏が朝を告げている
牛もごそごそと起きだしている
カラスが鳴いている
夕焼けの空で鳴くのもカラスだがいつでも鳴いている
7時、あちらこちらの公民館から放送が聞こえ出す
いろんな声の九官鳥ならぬ館長たちである
虫も鳴いている
秋の夜長だけではない
朝から伴侶探しに精出している
8時、うぐいすが鳴き出した
時間切れ、急いで帰宅して出勤だ

うぐいす嬢
2002/9/18(水)
選挙風景のひとつが選挙カーから聞こえるうぐいす嬢の声
お嬢さん何歳ですか
女性に年を聞くものではありません
本当のウグイスは雌を求めて雄が鳴く
老若男女、20歳以上なら等しく1票もつ人間ならではのうぐいす嬢
高齢者社会の政界では還暦まではお嬢さん
雌が鳴いても結構
そういえば雌をおとりにオスを捕獲する方法あったね

行商
2002/9/19(木)
子どもの頃に魚売りのおばさんがリヤカーでやって来ていた
戸別訪問できょうはいいさかながあるよと売りこんでいた
やがてトラックの時代になり街頭宣伝するようになった
テーマ曲をかけ、殿様キングスだったかな、来訪を報せる
停車したらアナウンス、・・・あじ・さば・などの大安売りに参っております
選挙カーがやって来た
前原、前原、前原むつのりが立候補のご挨拶に参っております
議員も魚とかわらないや
魚屋さん、鯛や平目はないのかね
お客さん、蛸や烏賊ならありますよ

うれしさは控えめ
2002/9/22(日)
50、300、450、850、894
開票所で30分毎に掲示される数値に見入っていた
当落ライン450をクリアしてもさほどうれしさもなし
894票で6位当選
22名の市議誕生である
もっとアグレッシブな選挙を闘いたかった
断トツの一位当選を目指して運動したかった
青年よ大志を抱け
52歳の新米議員も政界では青っ洟をたらした小僧のはずだ

国民総背番号制と国牛総耳番号制
2002/10/6(日)
オクラ畑の横に牛小屋がある
前は養鶏場だったが黒牛を肥育している
牛は耳に番号札を打刻されている
両耳に札をつけた牛たちは前後に札をつけた車同様
国に一括管理される対象である
私も耳に穴こそ開けられてはいないが
番号をつけられ管理対象の一要素となっている
土地を番号管理し、車を番号管理し、牛を番号管理し、人間を番号管理し
役人は自分の仕事を確保する
管理は大変だとコンピュータを導入する
近い将来、コンピュータが全てを管理する日もくるだろう
牛の前に居た鳥たちが卵生産マシンとして生かされていた様に
牛も人も管理生産される理想郷がやってくる

理想郷のつづき
2002/10/7(月)
人間を管理するようになった機械たちは遺伝子操作により
望みの人間を生産する
人種や民族の違いは解消し
変わって、管理された人間と管理されない人間とにわかれるだろう
機械は人間管理を確実にするため番号を体内に埋め込むだろう
ペット犬と野犬はどちらが幸せなんだろう
近い将来、人間は自ら答えを知ることになる