Beginning of Life  2 −ハンカチ−



 よく−・・漫画やドラマで、身近な人から好きだと告白されて、「知らなかった!」なんて驚くような話があるけれども−ああいうことって、本当はあんまり無いんじゃないかなぁ・・。
 そんなことを考えているオレの名は、新堂ハヤト。多分、どこにでもいる普通の高校2年生。どちらかというと、こういう−恋愛とか、そういうことには疎いほう。
 でも、人を好きになる気持ちって、とても強いものだと思う。言葉に出さなくても、視線や態度で周りや相手にそれとなく察せられてしまうような強さ。オレみたいなニブい奴でも、何となく分かってしまうような−・・それが男でも女でも。
「あの・・。先輩・・。もし・・お付き合いしているひととか・・居なかったら」
 だから、ずっと妹みたいに可愛がっていた後輩の女の子からそう言われたとき、正直言ってオレは『しまった!』って思った。
実は彼女の気持ちに薄々感づいていたし、その上オレ自身は、決して彼女が向けてくれるほどの気持ちを彼女に持てないこともちゃんと分かっているから。
 返答に詰まったオレに、彼女はあらかじめ考えていたのかもしれない、小さな声で慌てて言った。
「その・・・もし、そういう人が居なかったらなんですけど・・時々・・休みの日とか、暇な時に一緒に買い物に行くとか、映画を見るとか、そういうことでいいんです。先輩のお邪魔にならない範囲であたしは構わないから・・・」
 その言葉に、彼女もまたオレの気持ちの程度を知っていて、告白してきたんだということが何となく分かってしまって、余計にオレは途方に暮れた。そんなオレの表情に、彼女は手を振って苦笑いした。
「あ・・いきなり、困っちゃいますよね、言われても・・・。お返事は、その気になったらでいいんです、あたし、今すぐとかそんなこと考えてませんから」
 そう言って、彼女はぴょこんと頭を下げて、走って行ってしまった。
・・・・困った。
 小走りに去っていく彼女の背中を見つめながら、オレは溜めに溜めていたため息を吐き出した。「しまった」が「困った」に変わったのは、彼女の言葉があまりにも隙も誤魔化す余地も無かったから・・。
 あんなふうに言われて、どう返事すればいいんだろう・・。
 つきあってる人はいないけど・・・いないけど・・この世界には、いないけど。
 「休みの日」とか「お暇な時」一緒に過ごす相手なんかいないけど。
 もう会えなくて、多分ずっと、もしかして一生、会えなくて、でも、自分でもどうしようもないほど大切で大好きで、泣きたくなるくらい会いたい相手ならいるんだ。
 この空や海すべてを越えたどこか見えない世界にね。
 ・・・そんなこと、言えるわけがない。
 まして、その相手がオレと同じ男だなんてこと。

 オレね、今こうして自分たちが生きている世界以外の場所に突然呼ばれて、そこで魔法みたいなものじゃんじゃん使って、ゲームの勇者みたいに剣なんか振り回してみて、英雄になったことがあります・・・って言って誰か信じてくれるかな。
 まあ、信じてもらえないだろうな。そのまま病院に連れていかれちゃうよね。それくらいオレにも分かるから、誰にも言ったことがない。
ついでに、その異世界で男に惚れられて、最初はオレも仕方ないな、なんて思ってたくせに、結局はほだされて相手のことを好きになっちゃって、セックスまで経験しちゃいました・・・って言えばどうだろう。異世界はともかく、後半の部分は意外と信じてもらえそうな気がする。信じられてしまいそうだから、余計に誰にも言えない。
そう。オレの気がヘンになってるんじゃないのなら、オレは今年の春から約半年の間を、リィンバウムと呼ばれる異世界で過ごした。そこで、エルゴの誓約者と呼ばれる・・何て言うかな、一種の英雄みたいなものに祭り上げられて−それ自体が間違いから起こったことだったわけなんだけれども−・・半年後、この世界に戻ってきたのだった。(ちなみに、この世界ではその間、数時間も経っていなくて、別にオレが行方不明になったというわけではないのだった。)
 ・・人一人が恋をするのに、半年という時間は長いかな、短いかな。
 少なくとも、オレにとっては全然足りなかった。もたもたとぬるま湯みたいな時間を長く過ごした挙げ句に、幕切れだけは唐突だった。
 オレ、まだキールに伝えたかったことも、伝えたくても言葉にできないことも山ほどあったのに・・。
 リィンバウムで初めて人を好きになった。相手の名前は、キール。召喚師だった。気むずかしくて、イヤになるくらい大人びてて、皮肉屋だった。
 すっごく頭が良くて、(もとい召喚師っていうのはリィンバウムではすごいエリートらしい)すらあっと背が高くて、手先が起用だった。なんっか、いつも不満そうな瞳をしてるくせに、それがドキドキするくらい色気があって、ムスッと引き結んだ薄い唇が時々ふわっと緩んで笑うと、これまたドキッとする位優しい顔になる。
 背が高いくせに、剣を持たないからあまり体力はなくて、手先はあんなに器用なのに、人付き合いは不器用で。そのくせ口説き文句はこっちが裸足で逃げたいくらいキザったらしくて、そんでもって信じられないくらいヤキモチやきで。
 えーと・・そのぅ・・友達以上なんだっていう気持ちを先に告白してきたのはキールの方だった。多分、それは、キール自身も言うつもりはなかった言葉だったのかもしれないけれども、オレたちの間にそれを言わせたきっかけは、キールの出生まで絡んだリィンバウムの存続に関わる事件だった。
 ・・でも、本当は好きだって言われる前からずっと−・・オレ、本当はキールの気持ちに気づいてた。オレをじーっと見つめる視線のもどかしさも、戦闘中にどんなに自分が危なくても先にオレにリプシーパピーを喚んでくれる優しさも、屋根の上で話す時の熱っぽい瞳も、オレがリプレやガゼルとじゃれている時のイライラも、本当は薄々気づいてた。
 知ってても、どうしようもなくて−・・ずっと気づかない素振りをしてた。
 ・・だって、その頃のオレにとっては、同じ男から好かれる感覚ってよく分からなかったし・・少しくらいは、オレだって元々は女の子を可愛いと思うことがあったし、年相応よりも少しは鈍かったかもしれないけれども、ヤラしいことにも興味があった。
 だから、自分でも持っていたそんな感覚がいきなりオレ自身に向けられるっていうのは怖くて、不安で、出来ればこのまま避けて通って、無かったことにしたかったんだ。
 それともう一つ、心の奥底で、やっぱり自分はここでは異邦人にすぎないっていう感覚が消えなかったんだと思う。いつか必ず別れがあると思ってたから−ずっと、真剣になることに二の足踏んでた。
 まぁ、結局のところ、リィンバウムが滅ぶかどうかっていう瀬戸際、お互いにそういう自制や不安やためらい全部が吹っ飛んでしまって、キールはオレを押し倒したし、オレもまた、いろいろ迷ったり怖かったりはしたけど、されるがままに押し倒されたけど。
 まぁ・・・死ぬほど痛かったし恥ずかしかったし苦しかったんだけれども・・・結局、オレはキールの熱意にほださてしまったわけで。
 ・・そして。それまでぬるま湯みたいだったオレとキールの関係は、そこから急に沸騰寸前の熱湯状態になったんだ・・。

3 
 学校の帰り、丘の上の高台の公園に寄り道をする。リィンバウムに喚ばれる前には時々だったこの寄り道は、戻って来てからは毎日の日課になった。
 オレは、この場所で初めてキールの声を聞いてリィンバウムに呼ばれた。
 街のほとんどを見下ろせる展望台に立って、耳をすます。語尾が少し掠れる、あの懐かしい声が聞こえないかと祈りながら、静かに耳をすます。
 ・・・聞こえてくるのは、眼下に見下ろす、夕暮れの街の喧噪だけ・・。
 何も聞こえない。当たり前だよな、自分で結界張ったから。二度と異世界に行き来出来ないように、リィンバウムの結界を張り直したのは「エルゴの誓約者」とやらのオレだもの。
 ・・なぁ、キール。オレ、今日女の子に告白されちゃったよ。前にも少し話したろ、いつもついてくる妹みたいな女の子。
 茜色に包まれていく空を見つめながら、心の中で呟いてみる。
 ・・結構・・世の中には、お前以外にも物好きがいるんだなぁ・・。なぁ。キール、オレ、どうしたらいい?
 きっと−・・『好きにしたらいいさ、君のことだもの』そう言って、ムッと怒って、不機嫌な顔をするんだよな?
 こっちの世界で仲が良かった相手のことを−とりわけ、女の子のことを話す度、キールがムッとしていたのを思い出す。
 『その子の話なら前も聞いたよ、もう聞き飽きたね』って、皮肉混じりの声音が今でも耳に残ってる。そういうキールの反応、あんなに普段は大人びてるくせに、こういうことはまるで子供みたいだって・・半分呆れつつも、本当は、残り半分でオレ、嬉しかったりしたんだ。 
 好きなんだって言って、キールが泣いて、オレを抱きしめた時、ああ、来た−・・って思ったけど、これっぽっちも「しまった」も「困った」も無かったんだ。(「どうしよう?」「どうなるんだ?」はあったけどね・・・)
 ・・なぁ、キール、オレどうしたらいいと思う?
 あんな言われ方したら−・・「お暇な時に遊びに行く程度で構わない」なんて、「先輩のお邪魔にならない程度で」なんて、嘘みたいに都合の良いこと言われたら、どんな返事をすればいい?
 ・・キールがここに居てくれたら・・・こんなに寂しい気持ちになりはしないのに。
 彼女の優しすぎる言葉に、フラッと来たりしないのに。
 オレは途方に暮れて空を見つめた。
 ヤキモチやきの召喚師の声が今度こそは聞こえてくるかと思ったけれども、やっぱり今日も何も聞こえてはこなかった。夕暮れの冷たい風がやけに目がしみて、オレは目尻をごしごしこすり、立ち上がって帰ることにした・・。

 
 帰りの電車の中でも、オレはぼうっとしながらキールのことや、今日の返事をどうしようとか考え込んでいて、家に帰り着いた時にはひどく疲れたような気分になっていた。
 こんな−・・物思いや疲れって、よく考えればリィンバウムに呼ばれる前には経験したこと無かったような気がする。思えばあの頃、オレは全く無邪気に毎日がつまらないと思ってた。こんなに切なくて、漠然と胸が痛くて、毎日微熱が続くような−・・こんな気持ちが自分の中にもあるなんて、知らなかった。
 ベッドに身を投げ出して、腕で顔を覆う。
 いい想い出になんか、絶対にならない。リプレや、ガゼルや、レイドとの想い出は、こんなにも楽しくて優しいのに、キールのことを思うと、泣きたくなるほど胸が痛い。体の半分をもがれたような気持ちになって、いよいよ自分は一人ぼっちだと思うんだ。
 キール、ばか。オレがこんな気持ちになってるってのに、何やってるんだよ。
 腕の隙間から見える天井が涙で滲んでる。
 今でも、時々夢を見る。フラットの、古い孤児院の剥げかけた壁ときしむベッド。そして、何度となくぼんやりと見つめてた古い梁の天井。
 あの夜、かすかな月明りで、キールの肩越しに泣きながら見つめていた焦げ茶色の梁の色。オレを抱きしめるキールの深いため息と、繋ぎあったお互いの躯の卑猥な熱っぽさと、ぞくぞくするような気持ちよさ。
 そう、あれは、いよいよ明日、オルドレイクとバノッサと戦うという日の夜のことだった。
 その夜、オレはベッドに沿った壁から聞こえる小さなノックの音に飛び起きた。ベッドに転がってはいたけれど、ずっと目は覚めていた。全然眠れなかったんだ。
 その日の昼間は、明日の準備で目が回るくらい忙しくて・・明日の留守番は誰にしようとか、食料はどれくらい持っていくんだとか、そういう打ち合わせばかりで、キールはずっと隣にいてくれたけれども、二人で話す暇なんか少しもなかった。
 早めの夕食を済ませて、それぞれきちんと休むようにって部屋に引き取る間際、キールと一瞬目が合って、もしかしたらオレもそうだったと思うけど・・キールは、なんとも言えないような複雑な表情をしていた。何か話したそうなんだけど、とても話なんかできる雰囲気じゃなかったから、仕方なくオレもキールもそれぞれ自分の部屋に戻った。
 でも、部屋で明日の準備を済ませてしまった後も、本当にこれでいいのかなって思うとオレ、全然眠れなくて・・。
 もうずっと前から・・バノッサとオルドレイクと最後に戦って、自分が生きているかどうかは分からなくて、もし、生きていたとしてもこの世界にはお別れなのかもしれないってオレは気づいてた。オレが気づいてたくらいだから、多分、キールもそれを知ってた。
 本当は、明日生きるか死ぬかっていう夜だから、大人しく少しでも眠って、体力つけなきゃいけないって分かってたけど−・・壁越しのノックで、キールに呼ばれてるんだって思った途端、そんな考えはどこかに吹っ飛んでた。
 好きとか愛してるとか、そんなこと考える前に、とにかく最後の夜だからキールと一緒に居たいってその時は思ってたんだ。
 みしみし鳴る廊下をドキドキしながら小走りに抜けて、そーっとドアをあけて入ってきたオレに、一瞬キールは目を潤ませたけど、すぐに、いつも二人きりの時に見せてくれる、あの目元をふわっと緩ませた笑顔になった。オレを抱きしめて、ちょっと掠れた声で「ありがとう」って言った。
 ・・最初はとにかくキールの為になるならって夢中で、次は召喚石を買いに行った宿屋でムチャクチャな経緯の挙げ句に(これって、キールに半分だまされたようなもんだよなー・・まったく)、3回目は荒野の真ん中でどさくさに紛れてだったから−・・今、よく考えると、自分で納得してキールと寝たのって、あれ一回きりだったんだよな・・。
「・・・本当にいいのかい」
 体が痛くて明日、剣を振れないかもしれないよって言った苦笑いを含んだあの声に、なんでこんな時にまで余裕たっぷりなんだよ、悔しいなあって思った。
「・・・そっちが呼んだくせに」
 ぶすっとした声で答えたオレに、キールは苦笑いしてた。
「そう分かってて来たんなら、もう帰してあげないよ・・」
 あの声でこんなこと言われたら、勢い、蛇ににらまれた蛙みたいなもので−・・他人事だと思えば、フツー言うかこんなことって思うけど、キールに抱きしめられると、オレどうしようもなくなっちゃうんだ・・。
 あ・・。や・・やばい。
 なんか・・あの時のことを思い出してたら・・・・もやもやしてきた・・・。
 えーと・・・その。ど・・どうしよう。
 ホント厄介だ、下手にいろいろ知ってしまうと・・・。抱きしめられるとどんな気持ちになるかとか、囁かれる耳元にかかる息とか、キスする瞬間の唇の暖かさとか。知らないより、知ってる方が余計に卑猥な気分になってしまう・・。
 どうしよう。おさまらないや・・。
 仕方ない。父さんも母さんも、しばらく帰ってこないよな・・?
 時計を見てどっちも帰る時間じゃないことを確認して、枕元のティッシュを引き寄せて、すっかり元気になってるものを慌ただしく握る。
 リィンバウムに喚ばれる前だって、こうして一人ですることはあったんだけれども−・・それは、最近寝付きが悪いからとか、なんかイライラするからとか、そういう、スポーツをしたい衝動に似ていたような気がする。誰かを想って切なくなって、こんな気分になるなんて、オレ本当に知らなかったんだ・・・。
 ・・ここって、自分で触るだけじゃなくて、人が触ることもあるんだって、教えてくれたのはキールだった。あの節の立った細い指でもどかしい握り方をするんだ、ふわって握るかと思えばぱっと離して、そして優しくしごいて・・。
 昔は−・・一人でする時って、特定の誰かを思い浮かべてすることは無くて・・なんか漠然と、読んだ漫画のエッチなシーンとか思い浮かべてた。
 でも、今は・・・恥ずかしいくらいキールのことしか思い浮かばないんだ、あのゾクゾクするような声と、熱っぽく潤む藍色の瞳と・・・そ、それから、オレのなんかより、全然大きくて立派なアレとか・・。
 キールの奴、肩とかぺらっと薄く見えるのに、抱きしめられてみると結構胸が広いし・・あのすーっと長い手足で包み込まれると、それだけでオレはいつも身体から力が抜けてどうしようもなくなってしまって・・とどめに、結構「大きい」んだ、最初に見たとき(最初の2回は暗闇の中でしてたし、こっちも夢中でそれどころじゃなかったから、最初に見てしまったのは、荒野のど真ん中で、昼間にされた3回目の時だった)こんなん入るかー!って、思わず腰が抜けたもんな・・。現実には、それまでにすでに何回か入ってたわけなんだけどさ・・。
 オレ、一応自分でも男だと思ってるし−・・リィンバウムに喚ばれる前は、男相手にヘンな気持ちになってことなんか無かったから、正直に言えば、あんなふうに−・・その、女の人相手にするみたいに、入れちゃいけない場所に入れちゃいけないものを入れられるっていうの、やっぱりイヤだし怖かった。そんなことされて、自分の中の何かが壊れたり、変わったりするような気がして怖かった。
 だから、あの夜までの3回分は、キールに無理矢理迫られたからとか、勢いで仕方ないとか、そんなふうに自分に言い訳してた。
 でも、あの最後の夜は、オレの方から誘ったんだ、本当は・・。
 ああ見えて、結構オレの身体を気づかってたんだろうな−・・それまではすぐに指とか突っ込んでたのに、あの夜キールはオレの身体のあちこちをべたべた触るだけで、一向にその・・指とかそれ以外とか入れてこなかった。
 ここが情けないというか、オレ、自分でも信じられない所なんだけれども−・・それがなんか、こう、あの夜のオレは結構もどかしくて−・・。だって、キール、オレがビンビンに堅くなるまで握ったりさすったりするくせに、一向にイカせてくれないし・・(でもよく考えれば、最初の何回かは触られるだけでボンッとイッてたから、最後のあたりには少しはオレの方の我慢がきくようになってたって・・ことなのかなぁ・・)何であんなこと口走っちまったかな−・・。
「キール、ばかっ、焦らすなよっ・・入れるならっ・・さっさと入れろってば・・っ」
 ・・アソコもどこもかしこもキールに触りまくられて、いよいよ収拾が付かなくなって、情けない声でわめいたオレの言葉に、キールは鳩が豆鉄砲食らったような顔でオレを見て、そして信じられないっていう顔で口を開きかけて、そしてまたパタッと唇を閉じた。
「あ・・その・・・ハヤト」
 キールがおずおずと言うまでのその数秒の間、オレはもう、このまま死んでしまうんじゃないかと思うくらい恥ずかしくて−・・息が止まるんじゃないかと思った。
「・・いいの?君は・・その・・イヤなんじゃないかと思って」
「い、今まではイヤだって言っても聞く耳持たなかったくせにっ・・何を今さら、だっ」
「いや、あ・・それと・・これとは」
 なんかワケの分からないことをお互いに言い合って、キールは口の中でもごもご何か言いかけてたけど(「夢かも」とか、「信じられない」とか言ってたような・・)すぐに真顔になって、オレのことをじいっと見つめた。
「・・・いいの?本当に、僕は・・今夜は歯止めが利かないよ・・?」
「・・どうせ今までも歯止めなんか無かったじゃないか」
 照れくさくて、ぷいっと横を向いたオレの唇に、キールの細い指がそっと触れた。指の後を追うように、キールの唇が触れてきて・・オレの唇を包んで・・何でキール、こんなにキスが巧いんだろう・・。オレの前に、キスする相手でもいたのかな・・って思うと胸がちょっと痛かった。
 黙り込んだオレのことをどう思ったのか、キールはふと苦笑いして呟いた。
「君が・・こんなふうに・・ちょっと許してあげようって思う程度の気持ちが、僕にとってはどれだけの重みなのか・・君には分からないんだろうね」
 ・・キールが言うことは、時々オレには分からない。ひどく掴み所がないというのもあるし、きっとキール自身も、必ずしもオレに理解させようと思ってないんじゃないかと思う。この時も、言葉の意味を聞き直そうと見上げたオレに、キールはいつもの苦笑のままで、応えてはくれなかった。
「・・・大好きだよ、分かってるよね」
 でも代わりにキールが囁いた言葉は、ストンとオレの胸に落ちて、胸の奥で熱い滴になって、指と唇でまさぐられる快感とごちゃ混ぜになって、オレをふにゃふにゃにしてしまう。出会ってから少しずつ、この瞳とこの声とこの言葉に、オレはふにゃふにゃにされちゃったのかもしれないなぁって思う。
 ふにゃふにゃのだめ押しに、キールがオレに触れる指もキスもすごく気持ち良くて、ますますオレはどうしようもない奴になってしまって・・で、最後にはついにこんなことまで気持ちよくなってしまったわけで・・・。
 少しずつオレの中に押し込まれるキールの熱さに、オレは必死で唇を噛んで声を押し殺した。最初の時は本当に痛くて怖くて、このまま死ぬか、絶対ばーっと裂けて病院送りだって泣きそうになったのに・・・・。慣れって怖い。
 こうして入れた後すぐは、気持ちいいっていうよりは、なんか異物感でもどかしい気分になるって言うのが正しいあたりなんだけどー・・・オレの身体の中で、キールの体温がなじむにつれて、もどかしさが・・なんかヘンな感じになるんだ、その・・もっと欲しいような・・うずくような・・すっごく、イヤらしい感じ・・。
「あっ・・!あっ・・キ・・キール・・や、やだっ・・」
 声を押し殺して、思わずキールから逃げようとするオレを押さえ込んで、キールはあのゾクゾクするような掠れた声で囁いた。
「・・・あ・・・感じる・・?ハヤト・・ねぇ・・?」
「ばかっ・・恥ずかしいこと聞くなってばぁっ・・」
 何度「聞くな」って言っても、こうやってキールはオレに聞いてくる。いやあの、こういうことを囁かれるたびに、オレがあからさまに恥ずかしい具合に反応してしまうってのもあるんだろうけど・・。
「僕だって恥ずかしいと思うよ・・・」
 で、この時もオレはキールの囁く声も、もう半分耳に入らないような状態で・・。なんか、オレって気持ちよくなりすぎると噛みつく癖があるらしい。後になって聞いたんだけれども、前の何回かもキールの肩や腕に噛みついて、多分、この時もオレはキールの首筋だか肩かにがぶっと噛みついていたみたいだった。
「・・・何度抱いても、僕はその度に恥ずかしいくらい君に溺れるよ・・・君が愛しくて可愛くて、理性も羞恥心も消し飛んでしまうんだよ・・」
 な・・なんか、すごいことを言われてるみたいってのは分かってたんだけど−・・もう、オレの方もすごいことになってて、朦朧としてたから・・
「あーっ・・・あーっ・・キール・・キールっ・・!」
「は・・あぁ・・愛してる・・愛してるんだよ、ハヤトっ・・!!」
 ・・キールの押し殺したような囁き声はともかくとして、オレのこの悲鳴、多分・・隣のリプレには聞かれたよなぁ・・・。子供たちはぐっすり眠っていたとしても、まだリプレは起きて繕いものや家のことをやってる時間だったしなー・・。
 それが頭の隅っこにあったとしても、まぁ・・この時オレは、声を押さえられない状態になってしまっていたわけで、つまりのところ、キールにぎゅうって抱きしめられて、奥の方までめいっぱい入られて、ふにゃふにゃになったままイッてしまったんだった。
 ・・・・で、情けないことに・・・今、こうやって思い出しながらしごいた「一人分」の方も・・。ああ・・ティッシュ、どこに置いたっけ・・。
 枕元に放り投げてあったティッシュを数枚慌ててちぎって、ぐったりし始めたオレのを包む。ベタベタくっつくティッシュのイヤな感触と、青臭い匂いと、汗が乾いていく冷たさが情けなくなって、オレはそそくさとティッシュの塊をごみ箱に投げ捨てると、少しだけ泣いた。
 その場の気分に流されて、こうして一人でやってしまう度に、もうキールは居ないんだって思い知る。オレが先にイッてしまって、照れくささに拗ねてキールに向けた背中ごと抱きしめて、好きだよって囁いてくれたあのぬくもりは、もう思い出の中にしかないんだ・・。
 誰も聞いてないんだから、声をあげて泣けばいいんだろうけど、一度止め金が外れると、寂しさに押しつぶされてしまうような気がした。
 キールのこと、好きだと思う分だけ寂しい気持ちが辛くて苦しくて、誰かの手にすがりたくなる。やさしくて一途な後輩の女の子と、気晴らし程度の付き合いもいいかな、なんて卑怯な気持ちになってしまう。
 ・・キール、オレ、寂しいんだ。
 声を押し殺した分だけ、ぽろぽろ涙があふれてシーツに染みた。
 今でも、キールがオレのことを好きでいてくれてるのか不安で怖いんだ。
 いつか必ず出会えるって誓ってくれたけど、ずっと一生キールに会えなかったら、オレどうしたらいいのか分からないんだ。
 キールは何度も好きだよって囁いてくれたのに、オレは最後までそれをキールに伝えなかった。キールの想い出の中に、そんなオレはどんな形で残っていくんだろう・・。
 もし、素直に気持ちを言葉にして伝えていれば、少しは穏やかな気持ちになれたのかな。こんなに怖かったり、苦しくはなかったのかな。
 何となく−根拠もなく、泣きながらそう思った。


 次の日は、なんかずっと頭が痛くて−・・きっと、慣れない悩み事で頭を使ったせいなんだろうけれども−結局、オレは少し早めに学校を出て、公園にも寄らずに帰宅の電車に乗った。まだ、後輩の女の子にどんな返事をしていいのか分からなかったから、気持ちがまとまるまでは会わずに帰りたかった。少し早めに乗った電車は、まだ夕方のラッシュには早く、結構空いていて、オレは景色がよく見える席を選んで座った。
 昨日から頭がぼーっとしてる。
 彼女から告白されて、どんな返事をしたらいいのか、自分がどんな気持ちでいるのか考えれば考えるほどキールの想い出に引きずられて辛くなるし、不安にもなる。
 ・・・リィンバウムから戻って、まだ半年なのに−・・こうして誰かに好意を持たれるっていうだけでオレの気持ちは揺れる。じゃあ、キールはどうなんだろう。1年、2年と時が経って、オレと会えなくて、それでもずっとオレのことを想ってくれるんだろうか。誰か、魅力的な異性や同性が(考えたくないなぁ、どっちも・・)身の回りに現れて、キールに強烈なプロポーズをするんだとしたら?
 本人は、友達いなくて性格暗くて、自分はどうしようもない奴だって思いこんでるみたいなんだけど、誰が見てもキールは格好いい。何であんなにオレ一人に執着するのか良く分からないくらい、いい男だと思うんだ。
 そう、キールは、オレなんかより、ずっとずっと、誰かに好きになってもらう可能性は高いんだ・・・。そんなとき、キールの気持ちはどうなんだろう。キールのあの腕が、あの囁く声が、オレ以外の誰かのものだなんて思いたく・・ない。
 身勝手だ。自分は何一つ残してこなかったくせに、今頃オレはそう思うんだ。
 電車が走る単調な音に、頭の痛みが一層重くなったような気がした。
全身をカタカタと緩やかに揺らされて、昨日から引きずってるキールとの想い出に、またオレは引きずり込まれてる・・・。
 最後の夜、本当は自分の部屋に戻るべきだったんだろうけど、オレとキールは一つのベッドで朝まで眠った。あまり体力のなさそうなキールが、あの夜は「歯止めが利かない」と宣言した通りになって、結局オレの方が立ち上がれないくらにヘトヘトになってしまって。
「身体がだるくて・・戻れないよ・・」
 文句のつもりで言ったのに、疲れて甘えたような物言いになったオレの言葉が、なんだかキールは嬉しかったみたいで(何でかな)「ここで少し眠ったらいい、明け方には起こすから」って言って、背中から抱きしめた腕を放してくれなかった。
 こうしてキールとエッチなことをした後って、オレはすごく気まずい。さっきまでキールの腕の中でふにゃふにゃになってた自分が情けないし恥ずかしいし、どんな顔を見せたらいいのかって思ってしまう。
 しばらく経って、背中を向けたまま黙り込んでるオレがもう眠ってると思ったのか、キールが独り言みたいに呟く声が聞こえた。
「・・・君に呼ばれる召喚獣みたいなものさ、初めて会って名前を呼ばれた時から心まで縛りつけられてしまったんだから。・・・・帰したくなんかないよ・・・本当は」
 最後にキールがぽつりと呟いた言葉が痛いくらいに胸にしみて、オレは奥歯をぎゅっと噛んで涙がこぼれないように、起きてることを気づかれないように、我慢した。
 本当は、最後の夜だって分かってた。だから、ちゃんと言うべきだったんだ。
でも、あの時、照れくさいっていういい加減な理由でオレはキールに背中を向けたままで−・・いや、照れくさいなんて言い方は甘くて、要するに、キールに自分の気持ちのありのままを伝えるのが怖かっただけなんだ。
 仲間として信頼してるとか、真顔で言う信じられないほどキザで強引な告白にドキドキするとか、キスが上手でクラクラするとか、イヤらしいことされてふにゃふにゃになっちゃうくらい気持ちいいとか、そういう気持ち全部を飛び越えて、最後にオレの心の底に残るキールへの気持ち。
 どんなにウマの会う友達よりも、どんなに可愛い女の子よりも、血を分けた親や兄弟よりも、そして自分自身よりも大好きで大切なキール。誰より、何よりも大切に思うから、自分を犠牲にしても守りたいって自然に思えたんだ。
 何回も何回も言いそびれた気持ちは最後まで言葉にならなくて、夜明け前、少し肌寒い頃にようやくオレは泡みたいな後悔と苦い気持ちを残したままキールの腕の中で眠った。
 ・・よく分からない、だけどああいう気持ち、もしかしたら「あいしてる」って言うのかな。
 その時、不意に目の前に差し出された布きれに、オレはびっくりして視線を上にあげた。
「・・・?」
どのくらいの駅を通り過ぎたのか、いつの間にか電車は混雑し始めていて−・・オレの目の前には、背の高い高校生が立っていた。差し出されたのはそいつのハンカチだったんだ。
「何か」
 何だろうと思って尋ねたオレに、目の前の男は軽くため息をついて言った。
「気分が悪いのかと思って」
 そう言って、相手は自分の頬を軽く指さした。何か付いているのかと思って頬に触れたオレの指先には、生暖かい水滴がポロッと落ちてきて、初めてオレは自分が人目もはばからずに電車の中で泣いてたんだって気が付いた。
「・・・平気です、ごめんなさい」
 慌てて返事をしながら見上げた相手の制服には見覚えがあって、それは2駅ほど隣の町にある高校だった。襟章を見たら、どうもオレと同じ2年生みたいだったけど−・・ずいぶん大人びて見えた。足下に、何か武道をやってるらしい荷物がドンと置かれてる。
 ・・・キールに似てる。
 一瞬そう思って、呆然と相手の顔を見る。
 いや、よく見たら、髪型も顔もあんまり似てない・・いや、全然違う−・・違ってる。 どうして、一瞬でもキールに似てるなんて思ったんだろう。・・きっと、キールのことばっかり考えてたからだ。
 そう思った瞬間、また、情けないことに涙がぽろっと落ちた。
 それを見て、目の前の相手は、オレが返しかけていたハンカチを無理矢理オレの手の中に押し戻した。
「それあげるよ」
 早口で言うと、男は荷物を抱えて電車の降り口の方に移動し始めた。
「か、返すよ、ちゃんと洗って」
 慌てて言ったオレに、そいつは困ったような顔をして振り向いた。
「・・僕は普段はこの沿線は使わないんだ。わざわざハンカチ一枚で会うのも面倒だよ」
 呼び止める暇もなく、相手はそのまま止まった駅で降りていった。降り際に抱えていった武具の袋に付いていたタグに、「ふかざき」って名前が書いてあるのが見えた。
 振り向いて「面倒だよ」って言った顔は、やっぱりキールに良く似てた。顔のつくりや声じゃなくて、大人びたところとか、もの憂い雰囲気が似てるみたいだった。
 気づくと、結構周りの客からじろじろ見られてて−・・・オレは慌てて立ち上がって隣の車両に移って、もらったハンカチで涙でベタベタになった顔を拭いた。
 そう言えば、オレはハンカチを持ってない・・。小学校の頃、母さんから毎日持っていく身支度をしてもらった頃を過ぎたら、もうハンカチを持ち歩かなくなってた。
 男なんてみんなそんなもんだと思ってたけど、そういうわけでもないんだな・・。オレがいい加減なだけかもしれない。
 キールは・・そうだ、キールも確かハンカチみたいなのを持ち歩いてた。
鉱山の帰り、真っ昼間に外で「した」時に−・・イッちゃったオレのを包んで、丁寧に拭いてくれたっけ。飾りも模様もない、素っ気ない白い布きれで、でも、ぱりっと洗って畳んであった。こんなもん拭いちゃ布が勿体ないって騒ぐオレに、騒ぐほど大したことじゃないだろって苦笑いしてた。
「まさかそれ、持って帰るつもりじゃ」
 おずおず聞いたオレに、キールはめずらしく声を上げて笑ったっけ。
「持って帰ってもリプレに洗ってもらうわけにはいかないだろうね」
 当たり前だろっ、て怒ってムクれたオレを、キールはぎゅっと抱きしめて、笑いながらキスをした。
「仕方ない、ここに埋めて帰ろう」
 捨てると不道徳だからねって言って、じゃあ埋めるのはいいのかよってオレは内心で突っ込んだけど−ある意味、昼日中の荒野のド真ん中で同性とセックスできるほど不道徳な召喚師は、灌木の根本を丁寧に掘って、ベタベタに湿ったハンカチを埋めてた。
 ・・・ああ−・・そんなことも・・あったんだよな。
 真面目な顔で灌木の根本を掘り返してたキールの横顔が浮かんで、思わず口元に思い出し笑いがこみ上げてきて−・・その瞬間、さっきまでの沈んだ気持ちがすーっと消えていくのにオレは気づいた。頭の痛みも、嘘みたいに消えてた。
 ・・そうだよ。キールじゃなきゃ。オレ、キールじゃなきゃ絶対ダメなのに。
 まるで、見知らぬ誰かが差し出してくれたハンカチが、オレの迷いや不安を拭き取ってくれたみたいな気がした。
 雰囲気が似てる誰かじゃない、優しくしてくれるなら誰でもいいんじゃない、寂しいからすがりたい誰かじゃなくて−・・・それは、キールただ1人だっていうこと。
 オレは手元のハンカチを慌てて畳み、鞄に入れて、次に止まる駅で電車を降りることにした。
 今から学校に戻れば、まだ間に合うだろう。そして、帰りには、あの公園に寄って行こう。
 −・・名字だけでも名前が分かったし、高校も分かってるから、このハンカチ、返そうと思えば返せるんだろうけど。でも、多分あの人は、そうしてもらいたくはないだろう。面倒だよ−・・って困惑気味に言った横顔を思い出す。
 キールが時折子供たちのお守りをしたり、リプレの手伝いをしてた時にも、ああやって自分の優しさをどう顔に出していいのか困ったような顔してた。
 ああでも−・・オレ、ありがとうって言わなかった。それだけは言わなきゃいけなかったのにな。
 目の前で開いた電車のドアから勢いよく風が吹き込んでくる。
 ・・・ホント、ありがとう。
 早足でドアをくぐりながら、オレはハンカチを差し出してくれた「ふかざき」君に、心の中でぺこっと頭を下げた。


 昨日もこんなに風が冷たかったかなぁ、もう秋なんだって月並みなことを思う。
 いつもの公園は、やっぱり今日もいつもの通りで、ただ、昨日は気づかなかったけど−甘いキンモクセイがふわふわ香って、すっかり黄色に染まった銀杏の葉がオレの足下に沢山落ちてた。こんなことにも気づけないほど、最近オレって余裕なかったんだなぁ・・。 ここに来る前、学校に戻って、オレはすぐに後輩の女の子を訪ねて、人目に付かない場所で謝った。
「・・ごめんな。本当にごめん」
 その言葉で全部分かっちゃったんだろう、彼女は目尻に涙を滲ませて、探るようにオレを見た。
「・・ダメですか」
「・・・うん」
 頷く拍子に、胸が痛む・・。こんな可愛い女の子にこんな表情させちゃって、オレ本当にそのうち罰が当たっちゃうだろうな。
「オレね・・好きな人がいて」
 オレのその言葉に、彼女は肩をビクッと震わせて俯いた。
「その人には、今は会えなくて、もしかしたら、この先も一生会えないかもしれなくて、でも、やっぱり好きなんだ。たとえ一緒に居られなくても、オレは自分の気持ちとその人に誠実で居たいと思うし・・こんな気持ちで・・だから、ホント・・ごめん」
 最後にごめんって口にした時、ごく自然に頭が下がって、オレはぺこっと彼女にお辞儀をした。
 数秒しておそるおそる顔を上げた時、彼女は顔を覆って泣いていた。すすり泣きの声が胸と耳にキリキリ痛くて−・・でも、この子にハンカチを差し出すのはオレじゃないって思った。もし、オレが自分のハンカチを持っていても、オレが差し出すのは、なんだか彼女に失礼なような気がした。
「・・ごめんね」
 もう一度言ったオレに、彼女は「もういいです、もう行って下さい」って何度も小さな声で言って立ちつくしてた。
これ以上オレに出来ることはなかったから、仕方なくオレは何度か後ろを振り向きながら、学校の門を出たのだった。
 ああ本当に−・・これからもいい友達でいてくれよなんて、そんな言葉が言えればいいんだろうけど−・・そんな言葉、断る側にだけ都合がいいんじゃないかって、オレは思うんだ−・・。
 ・・・キール。オレ、間違ってなかったよな。
 公園の展望台の下から吹きあげる冷たい風が、放ったらかして少し長くなった前髪をバラバラに散らす。
 人を傷つけた以上は悲しくて胸が痛くて、それでもオレは、不思議なくらい冴えて静かな気持ちだった。
 本当に当たり前のことなんだけど、やっと気づいた。一番大切なのは、オレがキールを好きだと思う気持ち。キールがオレのことをどう想ってるかってこと以上に、オレがキールを大好きだと思う気持ち。好きだからあれこれ不安になるけれど、何があってもこれだけは消えない気持ち。
 もし、キールがまだオレのことを好きだって想ってくれるなら、リィンバウムの夕暮れの空の下で、キールも不安になることがあるのかもしれない。綺麗な女の子に交際を迫られて、ちょっとはドキマギしながら、迷うことがあるのかもしれない。
 ・・・キールが好きだよ。オレ、ずっと・・ずっと、待ってるから。
 もし届くなら、オレが祈るこの気持ちが、キールが不安だったり迷ったりするときに、そんな気持ちをぬぐい取るハンカチに変わって、キールを支えてくれますように。キールが、少しでも寂しかったり悲しんだりしませんように。
 茜色の空の縁に、うっすらと宵の星が見え始めてる。
 ・・・・必ず行くよ。だから君の隣はあけておいて・・
 ふわっと吹いた風に乗って、懐かしい声が聞こえたような気がした。
 ・・空耳だよなって思ったけど−・・それでも泣きたくなるほど嬉しくて切なくて−・・目尻に滲んだ涙が乾くまで、オレは夕暮れの展望台に立ちつくして、夕闇に光る宵の星をずっと見つめ続けていた。

                                                  終

                                 
 

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