得度を受けて在家信者になりました

>  私の戴いた法名は「円空」で、正確には生前戒名として「誓願院円空大悟居士」(せいがんいん えんくうだいご こじ)となります。天台宗南泉院の門徒となった。何が変わったかというと別に何もないが、ただ心の持ちようが変わった。毎日朝夕般若心経を読誦することが日課となりました。そして、全て自分の行動は修行と思って何でも進んでする気持ちになっており、与えられた自治公民館の仕事もボランティアの仕事も修行と思って進んで行っています。だから日常の行動はあんまり変わっていません。
 ただ、外見的には髪の毛を落として丸坊主になりました。在家は長髪でも構わないのですが、折角得度を受けるのだし、けじめをつけたるために自らバリカンを使って五分刈りにしました。

 和上より、袈裟を受け取る私。この日は、平成15年9月11日、仲秋の名月が満月になって火星とランデブーをしている日でした。多くの方々が観月会に参加がてら私の得度式に立ち会って戴きました。
 何故得度を受けることになったかというと、私の名前に一因があります。私の名前は「大悟」と言いますが、これはそもそも仏教用語で、悟りを開いて「仏」になる人に与える称号なのです。それを我が父は私に与えたのです。高校に入ると国語の先生が「おまえはどこのお寺の子だ」「お父さんは何宗のお坊さんだ」と聞かれるし、大学でも同様で専攻した中国史の教授は「おまえは中国哲学かインド哲学を専攻した方が良いのではないか、そのほうが僧侶になった時に助かるぞ」と、もう私はお寺の後継者だと思いこんでいた。九大には両方の学科が有ったが、私は百姓の息子だったから、歴史を専攻して高校の社会の先生になり親を助けようと思っていたんです。その一連の名前での出来事が50年間心の奥底にあった
 今年の春、ミャンマーに行き仏教国では7歳になると男児は全員得度を受けて仏門に入る儀式をするのを見てきた。帰国してミャンマーに小学校建設資金を送っている宮下和尚に私も協力すると申し入れて供に活動する中で、前述した名前の事を話すと「大悟さん、それはもう仏門に入るという業を背負って居るんだから得度して正式に仏門に入りなさい。私が手助けします」という事になって、この日を迎えることになったのです。

 隣は私の老師となる天台宗南泉院住職宮下亮善和上です。天台宗とは最澄上人が比叡山にひらいた延暦寺が御本山です。在家信者とは、日常生活をしながら仏教徒としての戒律を守っていくことになります。その在家がやってはいけないこと=五戒とは下記です。
  「不殺生戒」ふせっしょうかい=文字通り生ける物を殺さない。
  「不偸盗戒」ふちゅうとうかい=盗みをしてはいけない。
  「不淫欲戒」ふいんよくかい =みだらな性関係を持たない
  「不貪欲戒」ふとんよくかい =深酒をしたり、飽食したり、
                 無駄な買い物をしない
  「不邪見戒」ふじゃけんかい =嘘をつかない、
                 よこしまな考えを持たない。
 これが、出家して僧侶になると十戒となるのだそうです。