ルンクン地涌パゴダ-1

ルンクン地涌パゴダとは。
戦後60年、今も尚多くの日本兵がこの地に眠っています。ビルマ戦線では約31万名の兵が駐留したものの、、約18万名がこの地でなくなったという。戦闘よりも、飢餓、病気が多かった。
特に有名な、インド東端のインパールを目指した作戦では、「参加兵力約十万の内約三万を失い、約二万は病に倒れ、残存の約五万のうち半数は患者であったという。この無謀きわまる作戦こそまさに太平洋戦争の縮図というべきではなかったろうか。(家永三郎『太平洋戦争』岩波より)」という状況であったそうだ。 →他にもこんな説あり
戦争を美化するものではありませんが、今日の平和の礎となり異国の地に眠り、いまだ帰らざる人々の御霊を丁重に慰霊するべきではないでしょうか。また、現地ミャンマーの人々もまた多数犠牲になっております。その尊き犠牲者全てを慰霊するためにこのパゴダを建設するものです。
・ビルマ戦線敵味方戦没者慰霊の為(約7カ国の人々が戦没と聞き及ぶ)
・日緬(ミャンマー)友好のため
・世界平和の為

連絡先:891−1101鹿児島県日置郡郡山町厚地 南泉院気付
     「ルンクン地涌パゴダの会」 099-298-8247

この地「ルンクン」は、1944年日本軍と中国軍が対立し、村はパゴダを含めて全壊したという。日本人に良い印象を持っていないこの地にパゴダ復興を踏まえて建てる事は有意義である、というポーオ族リーダーの指導で建立された。2004年1月1日地鎮祭、4月12日仏舎利納骨式、11月24日落慶法要となっている。

この日4月12日は仏舎利を塔の上部に奉納する為の祭りが行われた。我々はそれに合わせて8名で訪緬した。
2004年3月 建設途上
パガン方式で中が回廊式になっている。東西南北の壁面に仏像を納める。
そのうち西方浄土を唄う「大乗仏教」の日本の大仏は西側に奉納する。
2004年4月12日、この日マンダレー市から届いた。
作成したのは中国福建省のアモイ市。陸路中国を横断し、雲南省昆明市を経て瑞麗からミャンマー入りして、届いた大仏様。
小乗仏教の国ミャンマーに日本の大仏様が奉納されるのは極めて珍しいことだそうです。
大仏様に手を触れて見つめるミャンマーのポーオ族の老人。大勢の人が立ち去ったあとも、このご老人は30分くらい暑い日ざしの中大仏様の前に居ました。
ミャンマーのパゴダでは仏像の前で長い時間瞑想したり寝転んだりしている人がとても多いです。
後日、現地からメールで届いた西壁の中に納まった大仏様。
背景の色つかいが日本人の美的感覚にそぐわないのですが、下の写真の通り他の三面と同じ配色です。
金箔の仏像には似合うけど、、、花崗岩の仏像にはちょっと似合わないと、私は思うのです。
でも現地で見るとまた違う感覚になるかもしれません。