鹿  その40

七夕踊り (tanabata odori) 

市来町
国指定重要無形民俗文化財

約400年前の歴史のある伝統芸能です。島津義弘の朝鮮の役のお祝いに踊られたもの
始まりで、その後大里水田開拓完成祝賀の余興として踊られ、豊作祈願や感謝の意味も込め
毎年行われている民族行事です。

七夕踊りは市来町の中福良集落で8時から、門前で10時から、払山で15時から行われます。
長い間、旧暦7月7日開催が、昭和47年から8月5日から11日までの間の日曜開催になった。

この幟がないと何の祭りかわからない。門前・橋の上  トラと格闘中・全て薩摩弁のやりとり
 鹿の張子、傍らの水筒はプラスチックになったが水と焼酎  鶴の大張子
 琉球王行列・友好の品を持って島津氏を祝す  大名行列「奴・奴道中」
 本来はメインが太鼓踊りの奉納・しかし張子の動物や行列の余興に食われ気味・・


島津家家紋がいろんなところに使われている。この市来は島津直属の土地で朝鮮の役祝勝会での
余興が島津氏を喜ばせ、七夕踊りに用いられる全ての道具に紋章を使用するのを許された。
張子の作りものの鹿・虎・牛・鶴、それぞれに鹿獲り、虎狩り人、牛使い、餌まき人が数人いる。
張子の中に入るのは、ひとりから20人。竹や木、布で作られる。集落で作る物が決まっている。
行列は琉球王行列・大名行列・薙刀行列・甲冑行列と太鼓踊りが、行列をして踊る。



                                                   2005.8.7取材





想夫恋(久見崎盆踊り) (gumizaki bonodori =soufuren) 

薩摩川内市.

県指定重要無形民俗文化財

久見崎は薩摩の軍港で、朝鮮役「慶長の役」に秀吉の命で島津義弘が一万余りの将兵を率い
慶長2年「1597」久見崎を出帆。、翌年に秀吉の死により、帰還。薩摩はしんがりで、この時の
戦の戦病死で、国に帰れない者もあった。鎮魂の歌と踊りが、うら盆の日に始められ「想夫恋」と
呼ばれ、旧暦7月16日に踊られていた。現在は新暦8月16日に久見崎の松林の中で踊られる。


毎年、盆に久見崎の未亡人たちがこの松ヶ鼻に集まリ、黒い布で顔を包み、男の紋付で
背中に脇差をさし、三味と太鼓に合わせて歌い、悲哀を込めた仕草で、円になって踊る。

何かを呼ぶような手の動き 東郷元帥揮毫の記念碑

 進行役の保存会重鎮  手を合わせる仕草の踊り、バックに三味太鼓

                                        取材 2005 8.16

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