薩摩 硫黄島 (鬼界ヶ島)


俊寛と安徳帝など

平家落人ではないが、平家物語にも出ているし、ここ、硫黄島を語るには、俊寛は外せない人物です。
この島は、安徳帝らが落ちのびてきた島として、史跡、史料などたくさん残されています。
この硫黄島は、平家打倒を企てた俊寛達が流された島として有名です。平成8年、歌舞伎の中村勘九郎がこの島で俊寛役を演じ、現実の史実の舞台で公演ということで広く報道され、その俊寛像も立っています。

因縁というか、打倒を計画した僧などを島流ししたところに、落人として平家や帝がやってきたということは、歴史が皮肉なのか、因果が巡るなのか、因縁を禁じえない。
もっとも、この俊寛の墓も全国14ヶ所あるというのだから…しかし、俊寛に関しては、安徳帝と違い、ここがそうであろうという有力場所となっています。

俊寛と一緒に流された、藤原成経・平康頼は、のちに許されることになった。康頼は千本の卒塔婆を流し、それが拾われ都に届けられる。おりしも高倉天皇の中宮建礼門院が安徳天皇を懐妊中で身体の具合が悪く「これは、島流ししたものの生霊の仕業かとか」、島流しを許せば治るのではとかで、改心している二人は許され、俊寛だけ残したとされる。腹の中の安徳天皇・残された俊寛、俊寛の怨念が、のちの安徳帝を島まで引いてきたのか・・これも因縁と考えると、この場所が安徳帝に関しては、より本物という真実味が増してくるのだが・・

蛇足ながら、因縁、許されて帰った康頼の孫、これがまたこの硫黄島に流されて・・
(やはり、因縁だ因果だの、私も好きネー)
と、この項を書いていると、ニュースで硫黄島・硫黄岳の噴火の兆しがあるとの報道。もちろん偶然の一致には間違いないけど・・山も応援・あるいはウソつくなー・・か。
                                   この項2003.6.6草稿
三島村村史 平家物語「長門本」 長濱文書「俊寛社発端本説之事」

70キロ先の薩摩半島から超望遠で望む硫黄島 俊寛の住んでいた庵後に建てた俊寛堂 硫黄島案内図平家史跡巡りコースもある