母から話は何回となく聞いていた。機会があれば、いつかは行こうと思っていた。
私が、0歳か1歳、まだ背中に負ぶわれていたころ、半年余り、佐多・辺塚に住んだことがあるそうだ。
父の先輩が、辺塚の診療所にいて、後家さんと出来て、別れたいけど後釜が来ないと、集落から逃げ出せず、その後釜に父に何とか来て欲しいとの話で、断れなかった父は、そこに出かけることになった。
(この後家さんの話は近所の医者から最近聞いた。)
錦江湾の反対側の薩摩半島今和泉で開業していた父は、父の姉一家と、同敷地内で一緒に暮らしていた。急いでいたので隣町の祖母に黙って、辺塚にでかけた。これは、母が父方の兄弟と暮らすのを嫌がって、父に焚きつけた話だろうと推測した祖母はかなり怒った。手紙がきた。母はその手紙をビニール袋に入れていまだに持っているとか。母もよっぽど悔しかったに違いない。その原因になった辺塚行き物語だ。
3年前に、母と佐多岬に出かけて、ついで辺塚に行こうと誘ったが、とても遠いからと、よい返事でなかった。行って見たいと思わぬようだ。車だとあっという間だし、道だって50年以上経ってるから、広くなり舗装のよい道のはず、と何回言ってもかぶりをふるばかりだった。
そんな辺塚へ行くチャンスが、今回は実現した。
東京から友人が来て、本土最南端の佐多岬を案内した。こんなことは過去に何回かあった。
しかし、今回はよく知った人間。しかも、ひとり。おあつらえ向きに、帰りでは彼はグウスカ寝入っている。チャンスとばかり、ナビゲーター行き先に辺塚を入力した。伊座敷の分岐点で右に曲がった。
50年以上前、辺塚には行きか帰りに5里の山道を歩いていったと言う。太平洋が荒れて、船が出せなかったそうだ。伊座敷までは湾内の漁船利用。狭い山道越えは赤ん坊を負ぶって大変だったろうと思う。
鹿児島は平家の落人が住んだと言う所がたくさんある。深山を越えた辺鄙なところも多い。平氏ゆかりの豪族も多かったから、それを頼ってやってきたのもあるのではないか。この辺塚も、そういった平家落ち武者伝説のある場所だ。
母もそれを知っていたらしく、あんな辺鄙な場所で凛々しい顔立ちした人が多く、「toudou
ozi?なんかガッツイヨカカオヲシチョッタ」と話していた。
そんなことを考えながらハンドルを切っていると、確かに遠い遠い。車でもこの距離は大変なものだ。一度はナビの指示通り右に曲がったら道に迷ってしまった。旧道がくねくね分岐しているようでもある。距離測定のため、車のメーターを記録しておけばよかったと思うほど、20キロというより、その何倍もあるように感じた。地図を見るとほんのチョットの距離に見える。高低差、急カーブが全部現われてない。立体的に細かく書いてあれば、想像できるのだろうけど。

途中で目覚めた友人もどこに行くのかケゲンソウな顔。それでも、ナビを見ながら目的地まで、あと何キロ・あと何キロあると言う。しかし、キロ数が減ったり増えたり、示している距離も実際よりすごく少ない。予定地まで、たいらに直線でナビは表示しているらしい。
大隅半島の屋根・1000mくらいの山を越えて、その山からくねくねと下っていく。道路も舗装はされているが、そんなに広くはない。一部、木の枝なども覆い被さったりして、果たしてこの先に人家集落があるのか疑いたくなるような道でもある。でも、対向車がポツポツくるところをみると、大丈夫そうだ。
時間にして小一時間も走ったろうか、ようやく集落が見え、小学校もある。「診療所」と看板も見えて、もしかしたらここがその場所だったろうかと、ちょっと車を止める。小さな川が三角州を作り、そこに辺塚の集落がへばりついている。畑や人家が見える。こんなところにも人の生活があるのかと。
太平洋の荒波が海岸に打ち寄せ、雨模様で風も強く、天気はよくないけど、それでも空や空気はあかるく、開けた雰囲気が感じられる。
長い間車に揺られて、海岸の見えるところで小用を済ました二人は、同じ道を登って戻るよりは海岸沿いに行くことにした。自衛隊の射撃場の脇から、ナビに入れた次の目的地・神川の大滝は、左の県道を登るような指示になっていた。道はだんだん落ち葉に埋もれ、両脇から草が占領してきて、倒木さえある。うっそうと木が茂り暗く、県道とはいえ、どうも今まで閉鎖されていたのか、車の通った形跡がない。
そういえば、迂回路の指示の看板を見たような気がする。こんな感じでは、ひとりで走っていれば確実に引き返している道だ。

だがいくら狭くても対向車の来る気配すらない、すれ違いしなくて済みそうだし、荒れ果てているとはいえ、間借りにも県道であるからと、覚悟を決めて車を走らす。途中、キジのメスか、高麗キジか、茶色の山鳥に似た鳥も、普通の雄のキジも、狸も弐ヶ所で、車の直前で飛び出す。3羽のカラスなどは車から2mも離れてない所に止まったままで、逃げようともしない。
ゆっくりゆっくり登り、峠に辿り着く。ここからは別の町になり、道路も広くなり、工事をしている現場もある。照葉樹の林道もある。はるか下に集落も見えて、やっと抜け出せたようだとほっとする。
〈辺塚紀行・とりあえず終了 2001.5〉
上写真、小学校中心・辺塚
下、山深い大隅の屋根