taiyO yakUza
創作に対してぶっちゃけることで自己紹介文にかえます。

 はじめに言っとくことは、僕らはもうなにも考えていない、考えることが根本的にできない世代なのだと言うことを肝に銘じたほうがいい。なぜなら、歴史は風化しつつある。全ては、形骸化し、ぼろぼろの皮膚感とともに、ただの言葉への変更を余儀なくされる。唐突にも「なぜ君は生きるのか」という問いを投げかけてみよう。そこには、左脳を機械化させ、右脳でもってひたすらの逃走を試みる現代人の姿が浮き彫りになるはずだ。

  そして僕らはくだらないお喋りを繰り返す。繰り返す。繰り返す。一応の思考の形跡を残しながらも、既にそれが、思考停止の単なる派生形態にしか過ぎないという空虚な感覚にひきずられて。
 
 上を目指すのだと君は言う。
 しかし、方向の基準がなくなっていることを君は知っている。
 
 飛べるのだと君は言う。
 しかし、それが描かれた空だということを君は知っている。しかも飛び切り下手くそな絵描きにかきなぐられた・・・

 こじれまくった君は「なぜ生きるのか」と問うこと自体が、間違った問題設定なのだと、心の壁に刻み付ける。いやらしい目つきをした友達が、その刻み付けた言葉からいつのまにか生えてきたヒダをいじくりまわす。君は思わず声をあげる。快感からか恥辱からか、恐らくはその両方から。

 きっと創作なんてものも、僕らにとっては何も質量の無いくだらないお喋りにしか過ぎないのだろう。もし創作に対する、いくらかの決め台詞があるとしたなら、僕は「これは思考停止の記録なのだ」と言うつもりだ。それ以上ではありえない。創作とは、思考停止の排泄物。僕らの世代にぴったりじゃないか。

太陽ヤクザ(2000/8/18)