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鹿児島北薩の奥座敷 

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東郷温泉ゆったり館

〒895-1106 鹿児島県薩摩川内市東郷町斧渕1940番地1
TEL.0996-42-2244  FAX.0996-42-2245


アクセス

ビル外観

電車の場合

鹿児島本線川内駅西口を出て、宮之城方面への岩崎バスに乗って頂き
東郷町司野バス停で降りられたら目の前が当館です。

自動車の場合

九州自動車道 姶良インターチェンジから約50分
※駐車場120台(駐車料金無料)


周辺ガイド

○○○公園写真

藤川天神(菅原神社)の臥龍梅

由 緒
一般的に藤川天神と呼ばれ、学問の神様として人々に慕われている菅原道真公をお祀りしてあります。
 延喜元年(901年)、藤原時平のそしりにあい、右大臣(現在に副総理)から太宰権帥(九州政庁の副長官)に左遷された菅原公は、その後も藤原時平の陰謀を恐れて大宰府で病死をよそおい、ひそかに舟で薩摩に下り、此処、藤川北野で静かに余生をおくられたと言い伝えられてます。
第二鳥居の北側の石垣の囲いは、菅原公の墓所と伝えられ臥龍梅(昭和16年 国の天然記念物指定)は道真公が自ら植えられたものと言われてます。


○○○祭りイメージ

新田神社

 社伝によると「邇邇芸尊」(ニニギノミコト)の墓を祀ったのが創始」とされるが、新田神社のことを書いた最も古い史料は永万元年(1165年)のもので、これには「貞観のころに再興」とあり、また「藤原純友の乱のときに国家鎮護を祈願し5か所建てた八幡宮の一つ」とする史料もある。

『延喜式』に全く名前が見えないことから見て、当初の地位はかなり低いものだったが、文治年間(1185年〜1190年)に新田神社筆頭職の執印職に、守護島津氏と祖を同じとする鹿児島郡司の惟宗康友が就き、康友の子孫が執印氏を名乗り(元弘3年(1333年)に後醍醐天皇が新田宮執印職の当知行を安堵)明治に至るまで、代々俗体で世襲することになる。

 蒙古襲来で、鎌倉幕府は各国の一宮と国分寺に蒙古調伏の祈祷を命じ、各国の守護に一宮への剣、神馬の奉納を命じた。薩摩国では枚聞神社と新田神社の間で一宮相論が起こっていたため、島津氏(忠宗)は、一宮の決定とは無関係としながらも 剣、神馬を新田神社(同族の執印氏側)に奉納する。これは事実上一宮は新田神社と認める行為で、一宮相論は決着し、古来から一宮であった枚聞神社から新田神社へと一宮が移ることになるが、最終決定がされておらず、薩摩国に一宮が二つ存在することになる。また、国分寺留守職、天満宮別当職に執印氏の分流の国分氏が就き、新田神社は薩摩国国分寺とも深い繋がりを持つ事になる。武神である八幡神を祀っていたことから、当地を支配していた島津氏に尊崇を受け、暦応4年(1341年)年記のある『島津家文書』に依ればこの新田神社が「薩摩国一宮」として挙げられている

山 稜
 明治7年(1874年)7月10日、明治天皇の裁可を経て可愛山陵が「邇邇芸尊陵」の指定を受け、大正3年(1914年)に宮内省直轄となる。新田神社のある神亀山の5分の4が陵墓の領域で、現在は宮内庁書陵部桃山監区可愛部事務所が置かれ、内閣府事務官が陵墓守部として管理している。陵墓と神社が一体となっているのは全国でも珍しい形態である。



薩摩川内 観光・特産品ガイド

※詳しくは、薩摩川内 観光・特産品ガイドをご覧ください。→薩摩川内市観光協会HP


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