よっちゃんの体験レポート (2000年)
400年目の霞ヶ関会談
たしか、昨年は雨天だった。
教訓1にも書いたはずである。
「雨男を催事企画の事務局にしないこと」と。
事実、昨年の曲水の宴が終わった後、お役ご免を願い出て、営業促進課へまわされたはずなのに、なのに、どーして僕は昨年と同じ、企画課の席に座っているのでしょう。
やれやれ、またまた事務局である・・・・。 ということで今年もなぜか担当と相成ったわけで、ええいこんちくしょう!こうなりゃ開き直りだ!!弓でも鉄砲でも持ってきやがれっ!!!?
アレ!? なんかセリフ違ったかな?
まあともかく、早く仕掛けないといけない。今年は天下分け目の関ヶ原合戦から400年を迎える年?
そうだっ!!関ヶ原だ!徳川だ!!石田だ!!!毛利だ!!!!・・・・
ってなわけで、急遽、東京霞ヶ関ビルのある場所に、徳川家の代表者と、毛利家の代表者(石田三成の家は絶えており、西軍の総大将は以外と知られていないがあの毛利家である)にお出ましをいただき、三者会談と相成ったわけです。実際はバラバラにお会いしました。
ご両家の快諾をいただくやすぐさまアノ中国大使館へ。
(ダンダランダーン、ダン、ダン、ダン、ダンダラーンダン、ダン、ダン・・・007のテーマ)
なんと今回は大使ご夫妻がみたいとのこと。OK、OK 謝謝ということで無事交渉成立。
わるかったな。どうせオレは雨男さ!!
最近生まれ故郷の大阪に出張で行ったせいか、ごっついガラ悪ーうなってんねん。
相手のことを普通に「おんどれ」ゆうんや。気にせんといてや!
せやけどな、また、今年も危なかったんねん。
何がって・・・、「雨」や。「雨」 うち「雨男」やったんや。
実は、雨が降っても降らなくても、700の仮設スタンド席の設置はしなくてはならないのです。
もし、当日、雨が降ったら、パーです。
今年は去年の教訓から、天候判断の時間をギリギリ開場2時間前とし、そのかわりダブルスタンバイをすることにしました。
結果、少し降っていた雨も上がり、どうにか今年は外で開催することができました。
あーよかった。来年は誰か事務局変わってくれー。