川上踊は今から400年くらい前、五穀豊穣と平和を祈念して創始されたものと伝えられている。毎年8月26日を踊りの日と定め、踊りつづけられてきたが、戦時中から中断していた。その後昭和39年から復活した。現在では8月末の日曜日に踊り、川上踊保存会によって毎年行われるようになった。鉦や太鼓を打ち鳴らし踊る様は、勇壮華麗である。
※8月26日に近い日曜日
奉納・披露
本町最大の水田「大里たんぼ」に「上ン実盛ドン」「下ン実盛ドン」と呼ばれる塚がある。この虫追踊りは実盛ドン塚を主として踊られた。昔、源平時代、斎藤別当実盛が敵と戦っている時、馬が稲 の切り株につまずいて倒れ、実盛は不覚にも討たれて死んだ。その怨霊が虫になって稲を害するという伝説がある。この伝説に基づいて日本の中部以西では「実盛送り」という行事を行っているところが多い。我が市来町大里では、この虫追踊がいつから始まったかは明らかではない。
祇園祭の起源は文化9年(1812)に市来町八坂神社が建てられた時に遡り、約二百年前と考えられている。八坂神社が建立されたころは、湊町が商港、宿場町として栄えた頃で、囃子山は、若松宇吉が京都で習ってきたものだという。活発な男山と、優雅な装いの女山の山車が街中を練り進む様は見ものです。

太鼓踊(堀之内庭)
この踊りの起源は約400年前に遡り、島津義弘公の朝鮮の役での活躍を称えたものとして踊られたのが始まりと一般に伝えられている。その約九十年後、金鐘寺住職の捨範叟と地頭の床濤到住が大里水田への用水路建設を実施し、天和4年(1684)に用水路が完成、大里水田開拓を記念して再び踊り始められた。大里地区出身者は、必ず一度は太鼓を打たないといけないと言われ、県外に出ている者も毎年この踊りに参加する為に帰省する。厳しい戒律のもと、約300年もの間踊りつづけられた国指定重要無形民俗文化財である。現在も8月5日から11日までの間の日曜日に開催され、太鼓踊りを中心に牛・虎・鶴・鹿などの作り物や、大名行列、琉球王行列、薙刀行列、甲冑行列などの行列ものが繰り出す。踊る場所も数多く、大里地区の様々な神や先祖霊に踊りを奉納することにより豊作を願っている。
※8月5日から11日までの間の日曜日
鹿/宇都集落の担当
竹で骨組みを作り、布をかぶせる。
作り物の中に青年が4人入り、鹿捕りが3人いる。
/島内集落の担当
木と竹で骨組みを作り、布をかぶせる。
虎の頭は経験者たちによって、自在に動くように作られている。
作り物の中に8人入り、虎狩りが4人いる。


/木場迫、中福良、中原、払山、松原、堀、寺迫、平ノ木場、陣ヶ迫の集落が交代で担当(毎年2〜3頭出る)
孟宗竹で骨組みを作り、布をかぶせる。
作り物の前後には、牛使いが2人いる。
/門前集落の担当
孟宗竹で骨組みを作り、布をかぶせる。
作り物の中には1人入り、餌まきが1人いる。
(鶴は、作り物の最後、行列物の最前にいる)
(鶴の後に、鷹匠が7人続く)