国際貿易港だった「山川港」

 山川湾は約5,700年前の火山噴火でできた。北・西・南側の垂直に切り立った崖は火口壁。東側の火口壁が壊れて海水が流入し現在の形になった。湾の奥行きは,約2km,幅は約700m。湾曲した入り江で,湾内は砂嘴によって外海と区切られている。このため,湾内には波が入りにくく荒天時にも穏やか。
しかし,見た目の穏やかさとは裏腹に,山川港をめぐる歴史は波瀾万丈だ。天文17年(1547),ジョルジェ・アルバレスが著した『日本報告』で,初めて西欧諸国に紹介された日本は山川であった。豊臣秀吉が朝鮮半島に侵攻した文禄・慶長の役(1592,1598)では百余の軍船が山川港を出航した。江戸時代には,鎖国体制の中,琉球貿易の窓口となり藩港として薩摩藩を支えた。幕末には,咸臨丸で入港した勝海舟が島津斉彬と会談を行った。山川港は,常に歴史という荒波にさらされていたのである。

[駐車場等]
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