前田利右衛門の墓
山川岡児ヶ水に生まれた利右衛門は,南島航路の船員だった。宝永2年(1705),琉球からサツマイモの種芋を持ち帰り,民間人として初めてその普及に努めたと伝えられる。
5年後の宝永7年には,幕府への報告書「藩法集」に薩摩の特産品としてサツマイモが早くも記された。サツマイモが広まったことで,享保の大飢饉でも薩摩では餓死者がほとんど出なかったという。
その後,サツマイモは天保,天明の大飢饉でも多くの人々の命を救ったといわれる。明治30年,利右衛門の功績を讃えて徳光神社が建立され,現在も命日祭と祭りが続けられている。
[駐車場等]
無し