知林ヶ島

 「ちちりのしま,聖の御房に譲り奉る」
 鎌倉時代,指宿氏初代平忠光の三男忠季が,出羽聖房(密教系の僧侶と推定される人物)に送った1217年(建保5)の譲状案には,知林ヶ島が「ちちりのしま」と記されている。「ちちり」とは松かさのこと。このちちりがたくさんある島ということからそう呼ばれたとも伝えられる。

 周囲約3km,最高点約90mの無人島。干潮時には,長さ約800mの砂州が出現する。知林ヶ島は,東シナ海から鹿児島湾内に侵入してくる温暖な黒潮の流れと,鹿児島湾内を流れて東シナ海に向かうやや冷たい流れのちょうど境目に位置している。このため,島の南北からの海流がちょうどぶつかりあい,砂れきが海流の境目に堆積し砂州が形成される。

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