種村季弘『謎のカスパール・ハウザー』河出文庫 1997年

 1828年,バイエルン王国ニュールンベルクに現れたひとりの少年。カスパール・ハウザーと名のる彼は,「穴」の中でひとりで暮らしたといい,また言葉をほとんど知らなかった。漂泊の王子なのか,それとも稀代の詐欺師なのか。しかし正体が明らかになる前に,彼は暗殺されてしまう。謎を秘めた彼はいったい何者だったのか?

 「カスパール・ハウザー」の名前をはじめて知ったのは,学生時代,心理学の授業でした。「知能の先天性と後天性」みたいなテーマで,人間社会を離れて育った「野生児」の例がいくつか紹介され,その中で「十数年間,牢獄で育ったカスパールが,どのように言語や社会性を習得していったか」というような内容だったと思います(そのときは「カスパー・ハウザー」と紹介されたように思います)。「事実は小説より奇なり」といいますが,まさにミステリ小説以上にミステリアスな事件に,強い印象をおぼえ,関連した本を探して読んだ記憶があります。久しぶりに店頭で,「カスパール・ハウザー」の名前に出会い,改めて読んでみました。

 で,カスパール・ハウザーという謎そのものは,あいかわらずおもしろかったのですが,1冊の本として見ると,いまひとつ物足りない感じでした。作者が解き明かそうとするカスパールの「正体」は2種類あるように思えます。ひとつは,まさにカスパールとは何者だったのか,つまり「詐欺師」だったのか,「バーデン王子」だったのか,ということです。基本的に筆者は後者の説に立って推理を進めるのですが,どうも「したはずである」とか「したに違いない」といった言い回しが目につき,また「しなかった」ことを論拠として,推理を繰り広げる点,少々説得力に欠けます。それと,カスパールの母親と考えられるステファニーが,彼の住む街を訪れた事実を指摘し,彼女は彼を「見たはず」であるとし,さらにご丁寧にドラマティックな場面を再現してさえいます。ところが,このことは「根拠はない」と断っているにも関わらず,翌年,カスパールが他の母親と目される女性に会ったとき,なにも反応がなかったのに対して,前年の「母子の再会」では,「ステファニー側には手応えがあった」などと書いています。いつのまにか,「根拠のない」想像が,まるで確認された事実であるかのようになっています。このような推理の展開をされてしまうと,他の部分における「推理」さえも,どこまで事実を確認した上での推理なのか,単なる「はず」なのか,疑問をおぼえざるを得ません。

 もうひとつの「正体」とは,カスパールをめぐる人々にとって「カスパールとは何者だったのか」ということです。オカルティストは彼の中に「霊媒師」を見ますし,民衆は彼の姿に「貴種流離譚」を探そうとします。さらに政治的思惑から彼を「詐欺師」「嘘つき」と断ずる人々もいます。いわば人々は「カスパール・ハウザーという謎」に,みずからの欲望や期待を投影しているのです。さらに彼に関する著作は,ヨーロッパでは1000冊近く出ているようで,現代人にとっても魅力やまない存在のようです(日本でいえば「邪馬台国論争」みたいなものでしょうか)。つまり彼ら,そしてわれわれにとっての彼の「正体」です。この点についても,いろいろと心理学用語を用いながら解き明かそうとしますが,その部分は全体の中で浮いてしまっていて,どこか中途半端な印象が拭えません。

 どちらの「正体」もけっこうおもしろいネタですから,どちらかに徹底してほしかったな,というのが,勝手なわたしの思いです。

 それからもうひとつ。カバー裏の解説で,カスパール・ハウザーの登場を「1928年」となっているのは「1828年」の誤植だと思います。あんまりといえばあんまりな誤植です(笑)。

97/06/18読了

go back to "Novel's Room"